三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

日本海軍の海南島侵略犯罪の証拠文書

2013年12月26日 | 海南島史研究
 防衛研究所戦史研究センター史料閲覧室(旧、日本防衛研究所図書館)で、海南島に侵入した日本軍にかかわる文書の一部が公開されており、そのなかに、海南警備府が作成した『海南警備府戦時日誌』と『海南警備府戦闘詳報』(計32冊)があります。この32冊が、公開されている日本軍の海南島侵略にかんする基本文書です。
 しかし、『戦時日誌』は1941年12月~1943年11月、1944年3月~7月の分のみであり、「戦闘詳報」は『Y五作戦戦闘詳報』(1941年11月25日~1943年4月19日)、『Y六作戦海軍部隊戦闘詳報』(1942年6月8日~6月25日)、『Y七作戦第一期』(1942年11月1日~1943年1月31日 )、『Y七作戦第二期』(1943年4月20日~6月4日)、『Y七作戦第三期』(1943年6月5日~6月24日)のみで、それ以外は公開されていません。
 『海南警備府戦時日誌』と『海南警備府戦闘詳報』には、「大東亜戦争 功績調査資料綴 海軍功績調査部」と朱書きされた表紙がつけられています。かれらにとっては、「討伐」という名の民衆殺戮は、記録されるべき「功績」でした。
 日本海軍は、「武功調査」なるものをおこなっていました。
 海南島に侵略し「討伐」をくりかえしていた日本海軍は、横須賀鎮守府第四特別陸戦隊、呉賀鎮守府第一特別陸戦隊、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊などでした。
 その各陸戦隊は、日本海軍本部に「功績概見表」なるものを提出していました。
 それは、池田福男(「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊司令海軍中佐」)による1940年4月29日~11月15日の「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊支那事変第八回功績概見表」、高島三治(「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令海軍中佐」)による「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊第八回功績概見表」、神岡重雄(「横須賀鎮守府第四特別陸戦隊司令海軍中佐」)による「横須賀鎮守府第四特別陸戦隊第八回功績概見表」、板垣昂(「横須賀鎮守府第四特別陸戦隊司令海軍中佐」)による1940年11月15日~1941年5月31日の「横須賀鎮守府第四特別陸戦隊支那事変第九回功績概見表」、高島三治(「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令海軍中佐」)による「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊第九回功績概見表」、池田福男による「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊支那事変第九回功績概見表」、板垣昂による1941年6月1日~1941年11月30日の「支那事変第十回功績概見表」、藤村正亮(「呉鎮守府第一特別陸戦隊司令海軍中佐」)による「呉賀鎮守府第一特別陸戦隊支那事変第十回功績概見表」、坂田義人(「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊司令海軍中佐」)による「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊支那事変第十回功績概見表」(1941年度「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊美談集」を含む)、斎藤泰蔵(佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令海軍中佐)による「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊第十回功績概見表」などです。
 「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊支那事変第九回功績概見表」には、「功績抜群者調書」、「舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊美談集」(1941年度)が含まれています。
                                               佐藤正人
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国民国家日本のアイヌモシリ... | トップ | 第13回定例研究会の主題 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海南島史研究」カテゴリの最新記事