三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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国民国家日本の領土と「周辺」 11

2012年09月29日 | 個人史・地域史・世界史
■(一)国民国家日本の領土と日本国民
Ⅴ、第2次アジア太平洋戦争敗北後
 1855年の「日魯和親通好条約」締結によるアイヌモシリの一部(「千島列島」)植民地化から開始された、日本の領土・植民地・支配地拡大は、第2次アジア太平洋戦争の敗北によって中断され、日本の領土・植民地・支配地は、縮小した。
 だが、アイヌモシリの一部(「北海道」)は、日本の植民地のままに残された。アイヌモシリの他の一部(「南樺太」と「千島列島」)も、北方先住民族に返還されず、再びロシアの植民地とされた。いま、日本政府と一部の日本人は、ロシア政府に「北方四島」の「返還」を要求し、再占領しようとしている。
 「南洋群島」は、アメリカ合州国の植民地とされ、そこで、繰り返し水爆実験がおこなわれた【註1】。
 朝鮮の北部は1945年8月から、ソ連軍の軍政下におかれ、独島を含む南部は1945年9月からアメリカ合州国軍の軍政下におかれた。1948年8月15日に朝鮮南部に大韓民国が建国され、9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が建国され、南北朝鮮におけるアメリカ合州国軍とソ連軍による軍政は、形式的に終了した。その後、日本は独島再占領策動を開始したが、独島には韓国軍が常駐し、日本の再占領を阻止している。
 奄美群島は1953年12月まで、小笠原諸島は1968年6月まで、琉球列島、宮古・八重山地域、釣魚島(釣魚台)は1972年5月までアメリカ合州国が占領し軍政を続けた。現在、日本は、釣魚島を武力で占領している。
 いま日本政府が続けている独島再占領策動、「北方四島」再占領策動、釣魚島再占領は、領土と経済水域を拡大しようとする現在の日本の他地域・他国侵略策動の一環である。
 1987年に日本政府は、放置しておけば東太平洋の荒波に侵蝕されて消滅する「沖ノ鳥島」(満潮時の高さ約70センチの2個の珊瑚礁露頭。東京都小笠原村に所属)をコンクリートで固め、その周囲を鉄製の消波ブロックで囲んだ。これが、国民国家日本の領土の現在の最南端となっている。この小岩礁を領土とすることによって、日本の緯度が台湾よりも南となり、「経済水域」が40万K㎡おし広げられている。1999年度から日本政府は、「沖ノ鳥島」を国家が全面的に維持管理することにした。
                                     佐藤正人

【註1】
 前田哲男『棄民の群島 ミクロネシア被爆民の記録』時事通信社、1979年。島田興生『還らざる楽園』小学館、1994年、など参照。
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