三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮人追悼碑訴訟  結審、判決は来年2月 地裁弁論 /群馬」

2017年10月18日 | 個人史・地域史・世界史
https://mainichi.jp/articles/20171012/ddl/k10/040/171000c
『毎日新聞』2017年10月12日 地方版 群馬県
■朝鮮人追悼碑訴訟  結審、判決は来年2月 地裁弁論 /群馬
 県立公園「群馬の森」(高崎市)に建てられている朝鮮人追悼碑の設置許可を県が更新しなかったことに対し、市民団体「追悼碑を守る会」が不許可処分の取り消しを求めた行政訴訟の第16回口頭弁論が11日、前橋地裁(塩田直也裁判長)であり、結審した。判決は来年2月14日。
 訴訟で主な争点となっているのは不許可処分の違法性▽政治的行事の定義--など。
 県側は「追悼碑前で、政治的発言が繰り返され、除幕式や追悼式の内容の一部は設置許可条件の違反となる政治的行事。その結果、追悼碑は存在自体が論争の対象となり、県民の憩いの場としてあるべき施設としてはふさわしくない」などと主張している。
 一方、守る会側は「(県側の主張には)『政治的行事』『政治的発言』の定義がない。どのような発言をすれば『政治的行事』になるのかの基準が読み取れない。不許可処分は裁量権を逸脱乱用したもので違法」と訴えている。
 追悼碑は2004年に「追悼碑を守る会」の前身団体が県の許可を得て建立。「朝鮮人に対し多大の損害と苦痛を与えた事実を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない」などと刻まれている。
 14年1月に設置許可期限が切れ、会側が県に更新を申請していた。しかし、過去に碑の前で開かれた集会で、参加者が日本政府に批判的な発言をしたことなどが、「政治的行事を行わない」という設置許可条件に抵触したことを理由に、県は不許可とした。14年11月、会が提訴した。  【西銘研志郎】


http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201710/CK2017101202000187.html
『東京新聞』2017年10月12日 群馬 
■判決は来年2月 朝鮮人犠牲者追悼碑訴訟 地裁で最終弁論
 県立公園「群馬の森」(高崎市)の朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の前で碑を管理する市民団体が開いた集会で、設置条件に反する政治的発言があったとして県が更新を不許可とし、市民団体が処分の取り消しなどを求めた訴訟の最終口頭弁論が十一日、前橋地裁(塩田直也裁判長)であり、結審した。判決は来年二月十四日の予定。
 訴状などによると、碑は二〇〇四年、県が政治的な行事をしない条件で許可し、市民団体「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会(前橋市)の前身団体が建立。しかし、碑の前で開かれた追悼式で「日本政府は(中略)強制連行の真相究明に誠実に取り組んでおらず(後略)」などの発言があったことを県は政治的と判断し、一四年に設置更新を不許可とした。
 最終口頭弁論で、原告弁護団は「碑文には(県も認めた)労務動員との言葉があり、これは朝鮮人が意思に反して日本に連れられ、労務に服したことは明らかだ」と述べ、発言を政治的と判断したことは不当と主張した。
 これに対し、県側は最終準備書面で「政府は強制連行という表現を使用しておらず、政府見解に反するのは明らかで、独自の主義主張となる」などと反論した。 (菅原洋)


http://www.sankei.com/affairs/news/171012/afr1710120009-n1.html   
http://www.sankei.com/affairs/news/171012/afr1710120009-n2.html
「産経ニュース」 2017.10.12 10:43
■高崎・朝鮮人追悼碑が結審、来年2月に判決 焦点は「政治的発言」の有無 前橋地裁


http://www.asahi.com/area/gunma/articles/MTW20160416101060001.html
「朝日新聞デジタル」2016年04月16日
■記者報告  県立公園の「朝鮮人犠牲者追悼碑」

【写真】碑には日本語、ハングル、英語で「記憶 反省 そして友好」と刻まれている
【写真】木立の中にたたずむ朝鮮人犠牲者追悼碑。周辺には森を散策する人らが訪れている=いずれも高崎市綿貫町

 高崎市の県立公園「群馬の森」に朝鮮人犠牲者追悼碑が建てられ、今年で12年になる。碑の前であった追悼集会での発言が「政治的」で設置許可条件に違反したとして、県は2014年、更新を許可せず管理団体に碑の撤去を求めた。決着は法廷の場に持ち込まれ、双方の主張は平行線をたどっている。20日には第7回口頭弁論が予定されている。碑の存続を願う人と、撤去を求める人。法廷外で当事者に聴いた。

◆存続を「『政治的』の判断、恣意的」
 2014年11月、追悼碑を管理する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」は、碑の設置許可更新を不許可とした県の処分の取り消しと、許可の更新を求める行政訴訟を前橋地裁に起こした。森野善右衛門さん(87)も原告団に加わった一人だ。
 東北学院大学で実践神学を教え、定年後に前橋へと居を移した。1998年から「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」の一員として活動してきた。碑文の原案の「強制連行」という文言に県が難色を示し「労務動員」と言い換えた。「県立公園という公有地に碑を建てることに意義がある。より多くの人にこの歴史を知ってもらえるからです」
 04年4月、碑の除幕式が行われた。森野さんは「小寺弘之知事(当時)のメッセージが代読され、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)や民団(在日本大韓民国民団)の関係者も並んだ」と思い起こす。
 追悼集会はその後も12年まで毎年、碑の前で行われてきた。参列者も内容も大きな変化はなかったという。自身も06年の集会で「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事、アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している」「このような運動を『群馬の森』から始め、広げていこう」と発言した。
 それから8年後、県はこの発言などを「『宗教的・政治的行事および管理を行わない』とする設置許可条件に違反した」と問題視、碑の設置期間更新を不許可とした。
 森野さんは納得できないでいる。04年の除幕式には県の関係者もいたといい、「参列者の発言に『政治的だ』などとする警告はなかったと記憶している」と話す。その上で「県は何を基準に我々の発言が政治的と判断したのか。その論拠が明確に示されず、恣意(し・い)的だ」と指摘している。

◆撤去を「碑を口実に政治活動」
 裁判で原告側は、県が追悼碑の設置期間更新を不許可とした理由の一つに、2012年に、碑の撤去を求める「『右翼団体』『嫌韓団体』などが抗議活動を始めたこと」を挙げている。
 しかし拉致被害者家族を支援する市民団体「救う会・群馬」代表の大野トシ江さん(83)と夫で事務局長の敏雄さん(80)はこの主張に異議を唱える。「私たちは、一般市民の立場から碑の存在に反対している」。同会は14年5月、碑の設置許可取り消しを求める請願を県議会に提出し、同種の2件の請願と共に採択された。
 夫妻は県議会の一般質問を傍聴して追悼碑の存在を知った。その後、インターネットで追悼集会の様子を報じる朝鮮新報の記事などを見つけた。朝鮮総連の幹部の「日本政府は強制連行の真相究明に誠実に取り組んでおらず」「国際的にも例のない不当で非情な差別を続け民族教育を抹殺しようとしている」といった発言などが報じられていた。「追悼集会はしめやかな行事であるはずだ。でもこの記事からはそういう雰囲気は伝わってこない」と敏雄さん。「碑の前で日本政府への批判を繰り返している。碑を口実にした政治活動としか言いようがない」
 夫妻は横田めぐみさんの父滋さん(83)、母早紀江さん(80)と親交が深く、今も連絡を取り合っている。「北朝鮮に対しては多くの日本人が複雑な思いを抱えているのが実情だ。私たちの気持ちにも配慮してほしい」とトシ江さん。
 敏雄さんは、県が一連の発言を「政治的」と判断した姿勢を評価する。「『強制連行』という表現が『労務動員』で決着した。県が言葉に神経質であることは当時からわかっていたはずだ」として、「県有地を借りている立場なのだから、もっと言動に注意を払うべきだ」と指摘する。

◆長崎市「碑文案の再検討要請中」
 長崎市では2014年1月、民団長崎県地方本部が平和公園に韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立を計画し、市に設置許可を申請した。しかし2年余が経過した今も建立には至っていない。
 市によると、日本による強制労働を非難する内容が碑文案にあり、市内外から1千以上の意見が寄せられた。「平和公園に不適切」などとする批判が大半を占め、建立反対の陳情も市議会に提出された。
 市は「被爆者の慰霊という公園の趣旨に合っているか判断したい」とする一方、同本部に碑文の内容の再検討などを求めたが「現在まで回答がないため、建立計画は審査中にとどまっている」と話した。
 奈良県天理市では、1995年に市と市教育委員会が市有地の海軍飛行場跡地に建てた説明板をめぐり、14年2月以降、強制連行などの説明部分に対する抗議が数多く寄せられたという。市は「説明文の中身の検証が必要」として同年4月、説明板を取り外した。
 その後、市の判断を支持する意見や「元に戻すべきだ」とする声も寄せられたが、説明板は今も市役所内で保管されているという。

■朝鮮人犠牲者追悼碑をめぐる動き■
 1995年3月 「戦後50年を問う群馬の市民行動委員会」結成。「朝鮮人の強制連行・強制労働」講演会など開催
 1998年9月 「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」結成
 2001年2月 追悼碑建設用地の提供を求め、県議会に請願書提出
 2001年6月 同請願書、県議会で趣旨採択
 2001年3月 県、碑の設置を許可
 2001年4月 追悼碑除幕式。以後、毎年、碑の前で追悼集会が行われる
 2012年4月 第9回追悼集会。この後、県内外から「碑の前で政治的な活動がなされている」「碑を撤去するべきだ」などの批判が県に寄せられる
 2013年4月 碑の建立に合わせて名称変更した「追悼碑を守る会」、第10回追悼集会を高崎市労使会館に場所を変更して開催
 2012月 守る会、碑の設置許可の更新を申請
 2014年1月 10年の設置許可の更新期限。県、更新を保留
 2014年6月 県議会産経土木常任委員会、碑の設置許可の不更新を求める請願2件を採択、1件を一部採択
 2014年7月 県、設置期間更新を不許可と決定し同会に碑の自主撤去を要請。守る会の「当分の間、碑の前で集会を開かない」などの代替案も退ける
 2014年11月 同会、「更新申請不許可は違法・違憲」として前橋地裁に県を提訴
 2014年12月 県議会産経土木常任委、同会が提出した設置期間更新を求める請願を不採択
 2015年2月 行政訴訟の第1回口頭弁論。県、争う姿勢を示す
 2016年4月 第7回口頭弁論(予定)
         高崎市労使会館で第13回追悼集会(予定)
                                     (馬場由美子)
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