三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「日本の知識人ら、羅州に東学農民虐殺「慰霊碑」ではなく「謝罪碑」を建てる」

2023年08月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「The Hankyoreh」 2023-08-12 07:43
■日本の知識人ら、羅州に東学農民虐殺「慰霊碑」ではなく「謝罪碑」を建てる

【写真】東学農民軍を討伐するために全羅南道羅州市に駐屯していた日本軍の楠美代吉上等兵が残した「陣中日誌」=羅州市提供//ハンギョレ新聞社

 日本の知識人たちが129年前に東学農民軍を虐殺した祖先に代わり、全羅南道羅州市(ナジュシ)に謝罪碑の建立を推進する。
 羅州市は11日、「東学農民軍犠牲者を慰霊する謝罪碑建立推進委員会は10日に羅州市民会館で住民説明会を開き、謝罪碑を建てることについて話し合った」と明らかにした。
謝罪碑建立推進委は今回の説明会を通じて、謝罪碑を建てることになった歴史的背景と経緯、敷地など具体的な推進計画を明らかにした。
 謝罪碑の建立場所は、日帝強占期(日本による植民地時代)の光州学生独立運動の発源地である旧羅州駅近くと、処刑地のあった羅州小学校近くが取り上げられている。推進委員らは、東学農民革命と光州学生独立運動がいずれも抗日蜂起だったという点で旧羅州駅の位置が適切だという意見と、処刑場だった場所に建てるべきだという意見を検討しているという。建立予定時期は羅州市民の日である10月30日が挙げられている。
 羅州市と円光大学円仏教思想研究院、韓日東学紀行団は、2019年に羅州東学農民革命韓日学術大会を開き、謝罪碑建立を推進してきた。本来は「慰霊碑」を推進したが、日本軍の虐殺に対する謝罪の意味を込めようという意見によって「謝罪碑」に変更した。謝罪碑には日本語と韓国語で「東学農民軍は日本軍の全員殺戮(さつりく)作戦によって凄惨な犠牲を被った。過去の深い傷をもつ羅州を未来の共生、平和の羅州にしようと、韓日両国の良心ある知識人と志のある韓日東学紀行参加者が取り組んだ」という内容が刻まれる予定だ。
 推進委には、韓日東学紀行の韓国代表であり東学研究者のパク・メンス元円光大学総長(68)と、日本の奈良女子大学の中塚明名誉教授(95)、北海道大学の井上勝生名誉教授(80)を中心に、羅州学会、韓日東学紀行団の参加者が参加している。
 2006年から中塚教授の提案で発足した韓日東学紀行は、昨年まで計17回にわたって東学農民革命に関連する相互の現地調査と交流を続けている。
 羅州は東学農民革命の際に羅州城を占拠した日本軍によって東学農民軍が全国的に最も多く犠牲になった地域だ。東学革命当時、日本軍の楠美代吉上等兵が残した「陣中日誌」によると、日本軍後備歩兵第19大隊は1895年1月5日から2月8日まで湖南招討営(現在の羅州小学校の場所)に駐屯し、各地から押送されてきた農民軍の指導者783人以上を処刑したものと書かれている。
キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)


「The Hankyoreh」 2022-10-19 08:21
■日本の教授「日本が東学軍に犯したことを伝えるため調査に通って17年」
 奈良女子大学の中塚明名誉教授 
 「東学農民軍の歴史を訪ねる旅」 
 日本の13人の市民と共に3年ぶりに訪韓 
 パク・メンス円光大学総長と2006年に開始

【写真】17日、ソウル仁寺洞のある食堂で取材に応じた中塚明教授=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「私が広島にある海軍兵学校(士官学校)予科に入学したのが1945年4月でした。まさに米軍が沖縄に上陸した時期でした。それでもあの時、日本中から4200人の高校生が志願して海軍兵学校に入学しました。日本人はみんな愚かだったというわけです」。
 近代韓日関係研究と日帝の韓国侵略史研究の権威である奈良女子大学の中塚明名誉教授の回顧だ。今年で93歳の高齢にもかかわらず、同氏は「第17回韓日市民が共にする東学農民軍の歴史を訪ねる旅」のために17日、日本の13人の市民と共に韓国を訪れた。
 同氏と円光大学のパク・メンス総長の主導で2006年に始まったこのフィールドワークには、これまでに日本の229人の市民が参加してきた。過去2年間はコロナパンデミックによりオンライン開催となったため、現場を訪ねるのは3年ぶりだ。18日から21日までの4日間の今回の旅で訪れるのは、日清戦争の激戦地である月峯山(ウォルボンサン)、羅州(ナジュ)の東学軍鎮圧部隊駐屯地(錦城館)、井邑(チョンウプ)の無名東学農民軍慰霊塔、全ボン準(チョン・ボンジュン)旧宅、大ドゥン山(テドゥンサン)と牛禁峙(ウグムチ)の古戦場など。19日には、韓日の市民と羅州市が来年に同市に共同で建てることが決まっている東学農民軍慰霊碑の建立候補地も見学する。
 パク総長は「羅州は日本の東学鎮圧軍が駐留したため、東学軍の被害者が最も多かった。暗い歴史の震源地である羅州で韓日の和解と東アジアの平和に貢献しようとの観点から、韓日の市民が共同で慰霊碑を建てることを決めた。東学フィールドワークに参加した日本の方々を中心として1千万ウォン(約104万円)を集め、韓国市民と羅州市がそれぞれ1千万ウォンと3千万ウォン(約313万円)を分担する計画」だと述べた。
 17日に日本からの訪問団と共に取材に応じた中塚教授に、今回の旅に期待することは何かと尋ねると、同氏は「日本人が日清戦争で何をし、東学はなぜ起きたのか、日本人によく考えてもらうこと」だと答えた。そして「羅州は日本軍の東学農民虐殺の根拠地だった。今回のフィールドワークも、韓国についてよく知らない日本人に向けた教育という意味が強い」と強調した。同氏は2年前に羅州韓日学術大会で発表した文章で「東学農民革命の抗日蜂起は東アジアにおいて、帝国主義覇権体制が成立する前夜における、その覇権に対する先駆的な異議申し立てだった」と評価した。しかし日本は依然として、歴史教育において東学のことを西洋に反旗を翻したという程度にしか教えていないというのが中塚教授の指摘だ。同氏はこれまでの東学の旅で得た知見などを加え、今年8月に著書『日本と韓国・朝鮮の歴史』(高文研)の増補改訂版を20年ぶりに出版している。

【写真】中塚教授が8月に出版した『日本と韓国・朝鮮の歴史』増補改訂版//ハンギョレ新聞社

 同氏は、これまでの東学の旅の中で、全羅北道井邑で無名東学農民軍慰霊塔を見た時がもっとも忘れられないと語る。「塔に梟首(罪人の首を切って高いところにぶら下げておく刑)された農民軍兵士の顔が刻んでありました」。来年のフィールドワークはどこを訪ねたいかとの問いには、「東学農民軍は(日本軍に追われて)羅州から長興(チャンフン)、海南(へナム)、珍島(チンド)に渡った。長興と珍島には行ったが、まだ海南はフィールドワークをしていない。いつか訪ねたい」と答えた。
 一方、2018年の最高裁判決以降に悪化した韓日関係の解決策を尋ねてみた。「朝鮮半島の植民地支配が合法だったという日本政府の認識が変わらない限り、この問題は解決できません。日本は違法な植民地支配を認め、謝罪すべきです」
 近いうちに東アジアで戦争の悲劇が繰り返される可能性もあると考えるかと問うと、「よく分からない」としつつ次のように語った。「日本政府は、日本軍が過去にアジアでどんなことをしたのか、今でもよく整理できていません。中国もかつての中国ではありません」
 インタビューの最後に「1945年の日本人は愚かだったとおっしゃったが、今はどうか、賢くなったか」と尋ねると、同氏はこのように答えた。「ある程度はね」。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2022-10-18 18:40
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「故国の民主化に献身した在日コリアンを「反国家団体」呼ばわりとは」

2023年08月12日 | 韓国で
「The Hankyoreh」 2023-08-12 08:17
■[レビュー]故国の民主化に献身した在日コリアンを「反国家団体」呼ばわりとは
 在日コリアンの団体「韓統連」の50年を振り返る

【写真】今年8月に創立50周年を迎える在日コリアンの社会団体「韓統連」(在日韓国民主統一連合)が、1976年、朴正煕の退陣と金大中など政治犯の釈放を求める「100万人署名運動」を展開している様子=真実の力提供//ハンギョレ新聞社
【写真】『野蛮の時間-反国家団体作りの犠牲になった韓統連の50年』キム・ジョンチョル著(真実の力、1万9000ウォン)//ハンギョレ新聞社

 民主化は韓国に住む人々の力だけで成し遂げたものではない。その裏には民主化運動の先頭に立った在外コリアンたちの存在があった。屈曲した現代史の影響で日本に留まることになった在日コリアンたちの献身は、韓国の民主化にとくに決定的な影響を与えた。そして、その中心になったのが在日コリアンの団体「在日韓国民主統一連合」(韓統連)だった。独裁政権は日本の市民社会と連帯して韓国の民主化運動を国際的に知らせた韓統連を目の敵にしており、事あるごとに彼らをスパイに仕立て上げたうえ、「反国家団体」という汚名まで着せた。韓国社会が形式的にでも民主化を成し遂げたのだから、韓統連が弾圧された話は「遠い昔の話」と思われるかもしれないが、韓統連は依然として国家保安法上の反国家団体と規定されている。スパイ疑惑の捏造など過去の公安勢力が行った工作の実体が明らかになったにもかかわらず、韓統連に着せられた汚名はいまだそそがれていない。韓国国籍であるにもかかわらず、韓統連のメンバーたちはパスポートを発行してもらえず、故国を自由に行き来することもできない。2012年から在外国民の投票権が認められたが、パスポートのない韓統連メンバーたちは投票もできない。
 『野蛮の時間』は韓統連を深く取材してきたキム・ジョンチョル元ハンギョレ記者が「反国家団体作りの犠牲になった韓統連の50年」(副題)に照明を当てた本だ。民団(在日本大韓民国民団)の改革派として祖国の民主化と統一の先頭に立った在日コリアンたちの献身、彼らをスパイと反国家団体に仕立て上げた公安勢力の企み、民主化以後も解決されなかった課題などを立体的に取り上げている。1973年8月15日、「韓国民主回復統一促進国民会議」(韓民統)日本本部としてスタートした韓統連は、今年で発足50周年を迎える。
 解放直後の在日コリアン社会は、韓国支持者は民団、北朝鮮支持者は総連に分裂していた。民団は発足初期、自律的かつ民主的に運営され、李承晩(イ・スンマン)政権の「棄民政策」(在日コリアンを放置した政策)を批判するなど、本国政府や駐日韓国公館からも独立性を保っていたが、4・19民主革命と5・16軍事クーデターを経て朴正煕(パク・チョンヒ)政権に従属する道に進んだ。金載華(キム・ジェファ)、郭東儀(クァク・トンイ)、裴東湖 (ペ・ドンホ)など改革派が反発したが、朴正煕政権は選挙にまで介入して民団を掌握し、改革派の人々を「北朝鮮や総連と取り引きする不純な勢力」に仕立て上げ追い出した。改革派は維新クーデター以降、朴正煕政権に追われ亡命生活を送っていた政治家、金大中(キム・デジュン)と連携し、1973年に韓統連の前身である韓民統を発足させた。弾圧の口実を与えてはならないという金大中の意見を受け入れ、韓民統は総連と距離を置き、統一事業より韓国の民主化運動を優先する「先民主化、後統一」路線を選んだ。韓民統の発足を目前に控え、朴正煕政権は「金大中拉致事件」を起こし、彼を救出するための韓民統の全面的な努力は日本の市民社会を動かしたのに続き、韓国民主化運動に世界の注目を集めるのに成功した。国内の反対勢力を鎮圧した朴正煕政権にとって、韓民統が主導した「民主化運動の国際化」は大きな負担だった。

【写真】1973年8月15日、東京日比谷公会堂で開かれた「韓民統日本本部発起宣言大会」=『韓統連20年運動史』より、真実の力提供//ハンギョレ新聞社
【写真】1976年8月に東京で開かれた「韓国問題緊急国際会議」の様子//ハンギョレ新聞社
【写真】1980年12月、当時野党の指導者だった金大中に対する死刑執行を阻止するため、韓民統幹部らが日本でハンガーストライキ団を構成し、無期限のハンガーストライキを行っている=『韓統連20年運動史』より、ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
【写真】韓民統(在日韓国民主回復統一促進国民会議)は、民主化が実現した1989年に名前を韓統連(在日韓国民主統一連合)に変えた。郭東儀韓統連初代議長が挨拶をしている=『韓統連20年運動史』より、ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 これを制圧する独裁政権の武器は公安勢力の「容共(共産主義を容認する)捏造」だった。「朴正煕政権が政治・社会的に困難な状況に直面するたびに作り出した在日コリアン留学生スパイ捏造事件の一つ」が、長年にわたる韓民統への迫害の出発点となった。保安司令部は1977年、在日コリアンの青年、金整司(キム・ジョンサ)が北朝鮮の指令に従う「工作指導員」イム・ゲソンの指令に従い、韓国に入ってスパイ活動をしたとした。さらに検察はイム・ゲソンを黒幕に仕立て上げ、韓民統を「反国家団体」と規定する内容を公訴状に含めた。根拠は駐日韓国大使館領事(チョン・ナクチュン)が作成した文書(領事証明書)1枚と、いわゆる「自首したスパイ」ユン・ヒョドンの漠然とした証言だけだったにもかかわらず、裁判所(1審裁判長ホ・ジョンフン)は公訴状を丸写しした判決文で、「韓民統=反国家団体」の烙印を押した。このように韓民統を十分な根拠もなく国家保安法上の反国家団体と規定したことで、独裁政権は国内外の民主化運動を締め付け、公安勢力はこれを活用してまた別の「不純勢力」を作りあげていった。1980年、全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部も同様にこれを活用して金大中を内乱陰謀の疑いで逮捕した。
 民主化運動の成果として1997年に権力交代が行われた後、数多くの「過去事」の名誉回復が実現した。しかし、韓統連についてはこれまで何も正されていない。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代、韓統連関係者が政府の決定でパスポートを発行され、故国の地を踏むなど「事実上の復権」措置があったが、李明博(イ・ミョンバク)政権の発足により再び入国が難しくなるなど、元の状態に戻った。反国家団体の足かせを取り除く中心機関である「真実・和解のための過去事整理委員会」(真和委)は、2008年になってようやく韓統連について調査を始めたが、李明博政権の影響で「究明拒否」の決定を下した。韓統連は2020年に発足した第2期真和委に再び真実究明を申請したが、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の影響で、偏向的な理念と過去事を歪曲する委員が多数になった真和委がきちんと真実を明らかにするかは不透明だ。司法府も同じだ。2004年の金大中内乱陰謀事件の再審、2011年の金整司事件の再審で裁判所は嫌疑なしを言い渡したが、事件と緊密に絡まっている韓統連に対する判断だけは結局無視した。

【写真】2021年6月、東京韓国大使館領事部にパスポーと発行を申請した後の韓統連幹部たち。左からクァク・スホ顧問、孫亨根議長、ヤン・ビョンリョン東京本部代表、金知栄在日韓国民主女性会会長=真実の力提供//ハンギョレ新聞社
【写真】「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障に向けた対策委員会」発足記者会見(2019年4月23日)=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 著者はこう一喝する。「韓統連事件は独裁政権時代にあった『過去事』ではなく、『今ここ』の問題だ。日本に住む彼らだけの問題ではなく、韓国にいる私たちの問題だ。反独裁民主化運動を行った人々に何の根拠もなく『反国家団体』という赤のレッテルを貼ったのは独裁者の韓国政府だったが、これまで彼らを様々な差別の中に放置しているのは民主化された韓国社会だ」。
 在日コリアン、イム・ビョンテクの若かりし頃の誓いは、韓国の歴史において韓統連がどのような意味を持っているのかを改めて思い起こさせる。「在日同胞青年たちの悩みは民族性にあるので、その根源である祖国との関係は避けられない。それでは祖国の不条理な政治構造が蔓延し、同胞の民衆が苦労している情勢を黙認しなければならないのだろうか。これからの私の韓国民主化運動に多くの困難が待ち受けていても、それはその時に対処すれば良いだろう」。
チェ・ウォンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-08-11 10:31


「The Hankyoreh」 2019-06-11 10:10
■[コラム] 未だに“反国家”フレームに縛られた“反独裁”闘争、韓統連

【写真】在日韓国民主統一連合(韓統連)のソン・ヒョングン議長(右)とキム・ジヨン在日韓国民主女性会会長が、東京の韓統連本部事務室で自分たちが発刊する出版物を示している=東京/キム・ジョンチョル先任記者//ハンギョレ新聞社

 「本当に残念に思う事件がある。… 死刑に次ぐ重刑を宣告した判決に、あれほど何の感情も苦悩の跡も感じられなかったのは初めて見た。 その裁判長という人が恨めしかった」(パク・ウドン『判事室から法廷まで』)。
 第5共和国(全斗煥政権)時代に“最高裁(大法院)判事”を務めたパク・ウドン弁護士は、自叙伝であるスパイ事件を指して「公訴事実自体に作為が見られた」とし、「国内スパイ活動というものも、どこに発電所や軍部隊あるということを探知したという、判で押したようなシナリオから抜け出せなかった」と話した。 その“スパイ”は、結局1986年に無期懲役が確定し12年服役した後、2008年に再審で無罪判決を受けた。 パク弁護士は「控訴審の裁判長に怒りがこみあげた」と話したが、当事者のカン・ヒチョル氏は「私が無罪であることを知っていながら真実を無視した」と言い、1審裁判長を恨んだ。
 まさにその1審裁判長が、最近法廷で検察に向かって激しい感情を吐露した。 「外側だけ立派に作り上げて出す事件が結構ある。そうした外側が消費者を惑わす。 … そんな捜査が許されるならば、私たち国民にとっては重大な脅威だ」。 自身が拘束被告人として法廷に立ってようやく悟ったようだが、あまりに遅すぎた。
 “拷問”で事件をねつ造した“独裁”時代、“コピー判決”が日常茶飯事だった。 実際、検察の起訴状をそのままコピーして判決文に添付する場合が多く、時には誤字までそのまま書き写した。 カン氏の事件の“1審裁判長”だったヤン・スンテ判事は、計4件のスパイ事件を担当し、重刑を宣告した。 ところが、再審で拷問などででっち上げた事実が明らかになり、無罪判決が下された。
 朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の44件、全斗煥(チョン・ドゥファン)時代の46件のねつ造スパイ事件に再審で無罪が宣告された。 その中でも1977年の在日同胞留学生「金整司(キム・ジョンサ)事件」は特別だ。 1980年、野党の指導者の金大中(キム・デジュン)に死刑を宣告する口実になった韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議)を反国家団体に仕立てた最初の判決であるためだ。 金氏は韓民統の工作員から指令を受けたというスパイ罪で、10年刑の宣告を受けたが、そもそも韓民統がなぜ反国家団体なのかについては裁判で扱われなかった。 韓民統の要人は、その時まで誰も裁判に付されなかったためだ。 金氏の“コピー判決文”に1行入れられたために判例として残り、金大中事件では調べもせずに判決に再引用された。 維新直後に国外で韓民統の結成を推進した金大中を拘束し、反維新闘争を防ぐための工作だったというハン・ホング教授の分析は説得力がある。 参与政府(盧武鉉政権)時代の国防部の過去事真相究明委も明らかにしたように、根拠になった在日中央情報部捜査官の「領事証明書」と、正体不明な「自首スパイ」の法廷証言もやはり弱点だらけだ。 真実・和解のための過去事整理委員会は、韓民統が反国家団体だとする根拠がないとし、国家の謝罪と名誉回復措置を決めようとしたが、政権が変わって不発に終わった。 現職の時も“首魁”の疑惑を晴らせなかった金大中元大統領は、2004年に再審で内乱陰謀罪の無罪判決を受けたが、反国家団体の“首魁”疑惑は無罪の代わりに赦免を理由にして免訴判決を受けた。 韓民統(現在の韓統連)も相変らず反国家団体として残っている。
 拷問ででっち上げられた公安事件の被害者は再審で無罪を受けているが、でっち上げた加害者に対する処罰や断罪はほとんどない。 領事証明書が依然として残り、韓統連(韓国民主統一連合)を締めつけているのも、これと無関係ではない。 “法”ででっち上げを黙認・ほう助した判事・検事も同じだ。 したがって、自身がねつ造したスパイを重刑に仕立てたことは全く忘れ、検察が仕立てたせいにしているヤン判事のような人が出てくるわけだ。

【写真】キム・イテク論説委員//ハンギョレ新聞社

 “アカ”世論操作の先頭に立った保守報道機関と、“独裁の末裔”たちもいまだにその慣習を捨てることができずにいる。 親日残滓である“アカ”“理念論争”から抜け出し理念の敵対を消そうという大統領の三一節記念演説に対し、「21世紀にいまだに親日・アカのたわごとか」と言いながら、自分たちは“親北”“左派”のたわごとを止めようとしない。 左右合作で成し遂げた光復軍の成就を賛える追悼の辞に「朝鮮戦争の英霊」や天安艦・延坪島(ヨンピョンド)事件の遺族を引き合いに出し、結局現職大統領に向かって「アカ」という極言を吐いた。 冷戦の端にしがみつく最後の断末魔にあえて対応する必要まではない。
 ただし、理念の敵対を消そうとするならば「反独裁」闘争をいまだに「反国家」フレームに縛りつける時代錯誤から解かなければならない。 軍事独裁反対運動を親北フレームでしばった30年前の領事証明書のように、パスポートの発給さえ拒否しているのは現政権の責任だ。 29日に訪日する文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、韓統連の汚名を必ず晴らすことを望む。

キム・イテク論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2019-06-10 19:39
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「100年前に朝鮮人虐殺招いた「フェイクニュース」」

2023年08月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「The Hankyoreh」 2023-08-12 00:27
■[レビュー]100年前に朝鮮人虐殺招いた「フェイクニュース」
 『関東大震災「虐殺否定」の真相 
 ハーバード大学教授の論拠を検証する』 
 渡辺延志著、イ・ギュス訳|サミン|1万8000ウォン

 100年前の1923年9月1日午前11時58分、東京をはじめとする関東地域の地面が大きく揺れた。マグニチュード7.9の強い地震で数十万棟の建物が破壊され、炎に包まれた。相次ぐ余震と火災で東京の人口の60%が家を失い、10万人あまりが死亡または行方不明になった。阿鼻叫喚の中で「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」、「朝鮮人が人を殺したり略奪したりしている」といううわさが広がり、自警団が結成されて朝鮮人狩りがはじまった。そうして6千人あまり(推定)の在日朝鮮人が命を失った。関東大虐殺である。
 右傾化した日本社会では「虐殺はなかった」と主張する者もいる。それに呼応する者もいる。2020年に「慰安婦は契約による売春婦だった」という論文で大きな波紋を呼んだハーバード大学のジョン・マーク・ラムザイアー教授が代表的な例だ。同氏は「警察の民営化:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして民間警備会社」(2019年)と題する論文で、当時の自警団は警察の民営化の一例だとし、これらの行為を正当防衛だと擁護する。まず朝鮮人が放火、略奪などをはじめたのだというのだ。
 『関東大震災「虐殺否定」の真相』はそのようなラムザイヤーの主張にどれほど妥当性があるのかを分析する。40年間にわたって朝日新聞の記者そしてノンフィクション作家として活動してきた著者は、ラムザイヤーの主張の根拠である当時の朝鮮人に関するメディア報道を分析、検証する。通信などがマヒしている中で発行された記事には検証されていないデマがそのまま記されており、日本政府も責任から自由ではありえなかったというのが結論だ。100年前も「フェイクニュース」が問題だったわけだ。
 18日午後4時には、ソウル鍾路(チョンノ)のチョン・テイル記念館で著者を招いてのブックトークが開催される。

イ・スンヒョク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-08-11 05:01
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