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ドイツの「記憶の文化」、ホロコースト越え植民地主義の反省につながるか

2023年08月11日 | 国家・社会
「The Hankyoreh」 2023-08-11 06:38
■[コラム]ドイツの「記憶の文化」、ホロコースト越え植民地主義の反省につながるか
 ノ・ジウォン|ベルリン特派員

【写真】9日(現地時間)、ドイツ・ベルリンにあるフンボルトフォーラムで、ベニン・ブロンズの特別展が開かれている=ノ・ジウォン特派員//ハンギョレ新聞社

 昨年、特派員に赴任する直前、ベルリンに初めて来た時のことだ。ベルリンという都市を概括的にでも知りたいと思い、3時間のツアーを申し込んだ。ヨーロッパの歴史を盛り込んだ博物館が集まっている「博物館島」を通り、ベルリンドームに到着した時だった。ドイツ人ガイドが通りの向こうにある豪壮な宮殿を指差した。「ベルリンの人々が嫌いな場所です」。第1次世界大戦中に破壊された、韓国で言うと景福宮に当たる旧ベルリン宮を再建し、博物館に生まれ変わらせた「フンボルトフォーラム」だった。
 東西ドイツの時代、この宮殿の跡には東ドイツの人民議会の建物が建てられたが、統一後、ドイツ政府はそれを取り壊し、旧ドイツ帝国の遺産を復元した。イデオロギーと関係なく旧ベルリンに郷愁を感じる市民にとって、この博物館が「嫌われ物」になった理由だ。それだけでなく都心のど真ん中に戦争の根本的な原因である旧帝国の象徴が蘇ったことで、一部ではドイツが「記憶喪失」に陥ったという批判の声もあがった。ベルリン市民と観光客の相当数がフンボルトフォーラムの外観だけを見て内部も宮殿だと勘違いし、厳しい視線を送るだけで入ろうとしないのもそのためだ。
 実際、フンボルトフォーラムはドイツの植民主義問題を深く掘り下げるという目標を掲げ、2021年9月に開館した。現在、注目すべき展覧会が開かれている。まさに世界的に有名なベニン王国(現ナイジェリア)の青銅芸術品の特別展だ。1897年、英国はベニン王国を侵略して宮殿を飾っていたベニン・ブロンズなど数千点を略奪し、欧州に持ち帰って世界に売りさばいた。そのうち約1100点が数年前までドイツ全域で展示されていた。しかし、2022年7月、ドイツ政府は文化財をナイジェリア政府に返還することを決めた。フンボルトフォーラムも保有していたベニンの文化財を返還し、再び20点余りを「借りて」と展示している。展覧会にはこのような過去と現在の歴史がそのまま記録されている。
 ただ、植民地主義の反省への道のりは始まったばかりで、まだ先は遠い。フンボルトフォーラムも植民地支配期に持ち込まれた文化財数十万点のほとんどを、十分な説明もなくただ並べて展示している。さらに内部では「略奪の証拠がない限り、返還できない」という主張と「合法的に獲得した証拠がない限り、盗んできたもの」という主張が対立し議論が行われている。
 20世紀初頭、世界4位の植民地大国だったドイツは、植民地に癒えることのない傷を残した。1904~1908年、西南アフリカのナミビアで数万人を集団虐殺したのが代表的な事例だ。東アフリカでは焦土化政策により数十万人のアフリカ人が餓死した。ドイツは約100年後の2016年にナミビア虐殺について謝罪した。しかし、ドイツ社会に過去の植民地支配を厳しく振り返ろうとする動きはまだ足りない。
 ドイツの植民地主義歴史専門家であり政治学者のヘニング・メルバー氏は2020年7月、ある論評で「ドイツはホロコーストを積極的に記憶しようとすることで有名だが、植民地支配の過去を解決するために行動することには失敗している」とし、「植民地に関する記憶喪失に陥った」と批判した。帝国主義ドイツの植民地支配の期間(1884~1915)はナチス政権(1933~1945)の2倍以上だ。
 ドイツ特有の「記憶の文化」(Erinnerungskultur)はナチスに対する反省、ホロコーストを越えて植民主義への反省にまで進むことができるだろうか。記憶の死角地帯に光を当てようとする同博物館の歩みが期待される。

韓国語原文入力: 2023-08-11 02:37
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