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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「‘アカ’ は 国民-非国民 分ける二分法から生まれた」

2018年05月27日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/2041.html
「The Hankyoreh」 2009-06-18 11:44
■‘アカ’ は 国民-非国民 分ける二分法から生まれた
 ‘빨갱이’는 국민-비국민 가르는 이분법에서 태어났다

【写真】‘アカの誕生’ 書いたキム・ドゥクジュン博士(44)国史編纂委員会編史研究家

 ‘アカ’ に追い立て民間人を殺した麗水順天事件
 支配権力 危機の度に反対勢力罵倒
 “考え違えば アカ(チャッパル:左翼パルゲンイ)…反共内面化の結果”

 麗水順天事件を象徴する一枚の写真がある。学校の運動場のように見える広い空地に住民数千人が両側に分かれて座っている。2つの群れを分ける幅3メートル余りの中間地帯には武装軍人らがものものしい警戒を展開しているが、塀後方の市街地から噴きあがる黒煙が住民たちが直面した運命の苛酷さを予告しているようだ。当時<東亜日報>を通じて ‘避難民収容所’ として紹介されたが、実は麗水鎮圧直後に麗水西国民学校で行われた左翼協力者探索場面だ。右側に集まって座った人々は反逆容疑者で、写真撮影直後89人が学校後方に連行され即決処分された。運動場を横切る中間地帯は良民と容疑者の便宜的区分線ではなく生と死の絶対的境界線だった。
 「鎮圧軍が市街地を占領した後、一番最初に行ったことが住民を一ケ所に集め ‘アカ’ を選び出すことでした。警察生存者と右翼たちが隊列を調べて回り ‘アイツ’ と指定すればそれで終わりでした。住民たちはこれを ‘指射撃’ と呼びました。彼らを待つのは無慈悲な棍棒打ちと銃殺,斬首刑でした。」
 <‘アカ’ の誕生>を出したキム・ドゥクジュン(44)国史編纂委員会編史研究家は麗水順天事件の核心的意味を ‘大韓民国国民作り’ に求めた。スタート二ヶ月を過ぎたばかりのイ・スンマン政府にとって麗水順天事件は「大韓民国国民の資格条件」を審査する契機を提供したということだ。誰かを ‘国民’ と承認するということは、常に ‘国民ではない者’ を区分して排除する過程を伴うが、イ・スンマン政府にとって ‘非国民’ は ‘アカ’ であった。
 「アカという言葉は日帝時代からあったし、解放空間でも共産主義者を指し示す用語として頻繁に使われました。ところが麗水順天事件を経てその意味が変わります。単純に共産主義思想を持った者ではなく ‘良民を虐殺する殺人魔’ ‘同じ空の下で暮らせない人間以下の存在’ という悪魔性を獲得することになったのでしょう。反逆者探索作業が行われた学校の運動場は、良民とアカ,人間と間,国民と非国民を峻別する空間だったということです。」
 もちろん右翼の ‘アカ狩り’ は蜂起期間に左翼が行った虐殺行為が口実となった。実際、反乱軍が掌握した色々な地域で反乱軍と左翼勢力によって警察と右翼の人々が大量に殺害された。だが著者は左・右翼の殺傷行為を同一線上で比較することは問題があると話す。虐殺の規模や対象,持続期間に明確な差があるためだ。

【写真】<‘アカ’ の誕生>

 「麗水地域社会研究所の調査によれば、全体犠牲者1万余人の内、95%が国軍と警察によって死にました。地方左翼と反乱軍が殺した人は500人程度です。そして行為の正当性有無を離れ、左翼の虐殺は標的が明らかでした。親日警察と韓民党勢力,左翼弾圧の先頭に立った青年団員たちでしたよ。ところが右翼は違いました。反乱を起こした14連隊軍人と反乱軍占領期に人民委員会活動をした南労党員だけでなく、彼らに食事の仕度をした人,雰囲気に巻きこまれ付和雷同した学生,反乱軍が残して行った持ち物を持っているすべての人が十分な自分弁論の機会さえ得られないまま殺害されました。復讐心のためだと見るには度が過ぎていました。」
 実際、犠牲者の中には普段警察と仲が良くなかった検事,左翼に温情的だった女子中校長など右翼名望家もいた。これらは反乱軍に協力した証拠がなかったにも関わらず心証だけで捕えられ処刑された。全市民を敵とみなす焦土化鎮圧作戦の産物だった。彼らはアカだから死んだのではなく、死んだ後にアカになったケースだった。
 こういう ‘アカ作り’ には報道機関と文人たちの役割が大きかったというのが著者の分析だ。実際、新聞らは情報獲得の通路が制限された状況で、政府と鎮圧軍の発表内容,市中に飛び交ううわさをろ過することなしに報道し、視察団資格で現地を訪問した詩人や小説家らもやはり共産主義者の非人間的残忍性を浮き彫りにする文を競争的に発表した。これを通じて ‘アカ’ という旗標に含まれる ‘殺人魔’ ‘間’ のイメージは国民の意識回路内に堅固に位置した。今や大韓民国国民になろうとすれば反共意識を内面化しなければならなかったし、このように内面化した反共論理は大韓民国60年史を通じて支配権力が危機を迎える度ごとにアカという幽霊を例外なく呼び出した。
 「インターネットで ‘チャッパル’(左翼パルゲンイ)という表現を日常的に書くネチズン等を見る度に胸がひやりとします。対北強硬策に反対し集会・示威と思想の自由,労働者のスト権を擁護するという理由で、はばかることなくアカのレッテルを貼ろうとするこれらの思考構造には依然として 良民とアカ,国民と非国民を分ける二分法が作動しています。麗水順天事件はまだ進行形であるわけです。」

文イ・セヨン記者monad@hani.co.kr
写真イ・ジョンア記者leej@hani.co.kr
原文: http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/360919.html
原文入力:2009-06-17午後09:53:29

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■여순사건은 ‘반공국가’ 건국공신
【写真】1948年10月26日麗水西国民学校で起きた左翼協力者探索場面。<湖南新聞>イ・ギョンモ記者が撮った。同じ場面を当時<東亜日報>は避難民収容所と紹介した。

 1948年10月19日済州4・3事件鎮圧のために全南,麗水に駐留中の国防警備隊14連隊軍人らが済州出兵を拒否し起こした武装反乱。地方左翼勢力と住民たちが蜂起に呼応し加勢して、麗水と順天,光陽,求礼,宝城など全南東部地域に波及した。当時政府は北韓と南労働党の指令にともなう計画的反乱と規定したが、最近の研究結果では南労働党中央組織や北韓とは関係なく、粛軍の動きに危機を感じた14連隊内の南労働党組織員たちが偶発的に起こした事件と確認されている。軍人蜂起が広範囲な大衆運動に広がりえた背景としては、親日派の再登用と土地改革遅延,単独政府樹立にともなう社会・政治的不満の累積などが挙げられる。この事件を契機にイ・スンマン政府は国家保安法を制定し強力な反共国家を構築した。 チョ・ジョンネの大河小説<太白山脈>の背景でもある。

原文: http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/360915.html
등록 :2009-06-17 18:22수정 :2009-06-17 20:54
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