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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

20年間(1998年~2017年)、32回の海南島訪問 2

2018年01月02日 | 海南島史研究
 海南島で調査をはじめてから6年後、2004年7月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、それまで撮影してきた海南島での映像を編集して、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年前は昨日のこと』制作しました。そして、2005年5月に、最初の報告書、紀州鉱山の真実を明らかにする会編『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』(写真の会パトローネ発行)をつくりました。その約2年後、2007年2月に紀州鉱山の真実を明らかにする会は写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(写真の会パトローネ発行)をつくりました。
 写真集のあとがき「証言(ことば) ・「場」・「物」・記録」の構成はつぎのとおりです。
    ■1939年2月10日
    ■2・10以後
    ■日本軍海南島三亜出港後
    ■侵略を肯定する反倫理
    ■証言を聞きとり記録する者の責任
    ■記憶は「継承」できない
    ■犠牲者一人ひとりの人生
    ■「物」・「場」・証言
    ■「朝鮮村発掘」
    ■事実の伝達    
       特別展『海南島で日本はなにをしたのか』
       ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』
       写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』
    ■共同作業が実践的にも思想的にも可能となる道
    ■日本政府にたいして
    ■課題

 「証言を聞きとり記録する者の責任」の前半部に、紀州鉱山の真実を明らかにする会はつぎのように書きました。

    日本政府も日本軍も日本企業も、侵略犯罪にかんする文書を、過去の犯罪にかんする
   ものも現在の犯罪にかんするものも、ほとんど公表していない。
    海南島に侵入していた旧日本軍兵士や日本企業関係者の手記も、わずかしか発表され
   ていない。
    日本が海南島でおこなった侵略犯罪を明らかにするためには、海南島の人たちから体
   験を聞かせてもらわなければならない。
    証言を聞きとり、記録し、映像や声や文書として保存し、証言内容を伝えていくことは、
   国民国家日本の侵略犯罪・戦争犯罪にかんする諸事実を歴史から消し去ることを許さない
   ためにどうしても必要な作業である。
    この作業を、急ぎつつ持久的にすすめていかなければならない。
    1939年2月に7歳だった人は、いま75歳である。
    長寿の人が多いところであるが、海南島でも日本侵略期のことを体験した人が少なくな
   りつつある。
    日本軍がかつて襲撃した村を訪ねると、しばしば、当時のことをよく知っている人が少し
   前に亡くなったと聞かされる。
    記憶があいまいになっているとか、耳が聞こえなくなっているとのことで、80歳代や90歳
   代の村人からは、話を聞かせてもらうことができないことがある。
    多くの人から話を聞かせていただいて日本の海南島侵略犯罪の実体をくわしく知るため
   に残されている時間は、限られている。
    ひとつの村での日本軍の犯罪を知るためには、その村を何度も訪ね、わたしたちの立場
   と目的をはっきりさせ、村人との信頼関係をすこしでも強くしていかなければならない。
    村の一隅で、子どもたちをふくむ多くの村人に囲まれながら、聞きとりをさせてもらってい
   るとき、わたしたちは、自分たちの歴史的ありかたを、村人に見つめられているように感じ
   る。

 「残されている時間は、限られている」とわたしたちが自覚してから10年以上が過ぎました。

                                     佐藤正人