https://mainichi.jp/articles/20170605/k00/00m/040/102000c
『毎日新聞』2017年6月5日 07時00分
■アイヌ遺骨 返還視野 日豪政府が交渉
アイヌ民族の遺骨3体がオーストラリア国内の博物館で保管されていることが昨年から今年にかけて相次いで判明し、豪政府が返還も視野に日本政府と交渉を始めたことが分かった。駐日豪大使が北海道アイヌ協会の代表者と8日にも札幌市内で面会し、遺骨の状況などを説明する。
アイヌなど先住民族の遺骨は19世紀以降、欧米などの研究者が人類学の研究目的で収集し、英国やドイツなどでも見つかっている。ドイツでは昨年17体が確認され、うち1体は1879年に札幌の墓地から盗掘されたものと特定。外交ルートを通じた初の返還が年内に実現する見込みだ。
オーストラリアで見つかった3体は、いずれも頭骨で、日豪の専門家の調査により、アイヌ研究で知られる東京帝大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)名誉教授(1859~1944年)が1911~36年にオーストラリアの研究者に送ったものと確認された。
調査に携わる北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)によると、国立メルボルン博物館で2体、国立オーストラリア博物館で1体が保管されている。このうちメルボルン博物館の1体は樺太(サハリン)で収集した記録があるという。
オーストラリアには、他国の先住民の遺骨について、遺骨が属するコミュニティーの求めに応じて返還すると定めた国内規定がある。
豪大使館は毎日新聞の取材に「オーストラリアと日本の先住民への理解を促進する機会にしたい」と話し、内閣官房アイヌ総合政策室は「(返還手続きなどは)豪政府側から情報提供を受けた後に検討する」としている。
【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20170204/k00/00m/040/145000c
『毎日新聞』 2017年2月4日 2月4日 08時24分
■アイヌ遺骨 発掘禁止令 19世紀、「不当な収集」根拠に
【写真】「極東にて」のコピー(手前左)とクライトナーに関する論文(右)=2017年1月31日午後4時2分、中西啓介撮影
【ベルリン中西啓介、ウィーン三木幸治】海外にアイヌ民族の遺骨が散逸している問題で、日本政府が19世紀後半、アイヌの墓の発掘を禁止する「命令」を出していたとみられることが、オーストリア人の旅行記から分かった。命令が確認されれば、海外からの遺骨返還に必要な「不当な収集」を裏付ける根拠となる可能性があり、専門家は日本政府による調査の必要性を指摘している。
命令についての記述があるのは、オーストリア人アイヌ研究者グスタフ・クライトナー(1847~1893年)の旅行記「極東にて」(1881年出版)。1878(明治11)年8月に北海道を探検した際のアイヌの調査などをまとめている。
クライトナーらは研究資料としてアイヌの頭骨を入手することを旅行の主要目的の一つにしており、当時北海道を管轄した「開拓使」とみられる官庁に墓の発掘許可を申請。だが、日本側は「政府はアイヌの墓に触れてはならないとする厳しい命令を出している」として、申請を却下していた。
命令の時期や詳細な内容の記述はないが、当時、札幌で農業指導をしていたドイツ出身のルイス・ベーマーはクライトナーに「(1865年に)函館近郊で英国人によるアイヌ遺骨窃盗事件が起きたため、住民の怒りを買う発掘は難しくなった」と背景を説明している。
独ボン大のウールシュレーガー博士(アイヌ学)は「事件は英国領事の辞職につながる大問題になった。命令は確実に存在したはずだ」と指摘。ドイツの指針では遺骨返還に「不当な収集」を裏付ける必要があるが、「命令が有効だった期間に海外に持ち出された遺骨は、全て不当収集と証明できる」という。
アイヌ民族は「最も原始的な民族」とされ、欧州では1860年代に人類学の研究対象として北海道などから多数が「収集」された。
https://mainichi.jp/articles/20161025/k00/00m/040/149000c
『毎日新聞』2016年10月25日 10時22分
■アイヌ遺骨 学者間で「流通」か 英独露、多様な人種収集
【写真】小金井良精・東京帝大医科大教授が1900年にハンス・ウィルヒョウ・ベルリン大教授に宛てて送った遺骨提供への礼状=提供写真
アイヌ民族の遺骨がドイツなど海外の研究機関に保管されている問題で、遺骨が研究者による「人骨流通ネットワーク」を通じ持ち出された可能性が浮上している。その実態解明は国外での収蔵先把握に不可欠で、専門家は研究者による調査の必要性を指摘している。【中西啓介】
人骨流通ネットワークは近年、ドイツの研究者が存在を指摘するようになった。19世紀後半の人類学研究では、頭骨計測のため大量の遺骨が収集された。多様な「人種」の骨を集めるため、英独露などの研究者間で、国内や植民地で収集された先住民らの遺骨が交換された。遺骨の売買も行われたとみられる。
ドイツには少なくとも17体のアイヌの遺骨が収蔵されている。日本国内でドイツ人が盗掘した物もあるが、一部はロシアから研究資料として寄贈された記録が残る。北海道大大学院の小田博志教授(人類学)は「こうしたネットワークの中心はベルリンやロンドンなどだった」と話す。
ドイツ留学後、日本でアイヌを研究した東京帝大医科大(現東大医学部)教授の小金井良精(よしきよ)(1859~1944年)は1900年、ベルリン大教授のハンス・ウィルヒョウ(1852~1940年)に、遺骨提供への謝意をはがきで述べている。
はがきについて小田教授は「日本も人骨流通ネットワークの一部だったことを示す」と指摘。新たにアイヌの遺骨を発見するためにも海外の研究機関に残された「標本」購入や交換の記録を調べ、ネットワークの実態を解明することが重要だとしている。北海道アイヌ協会の加藤忠理事長も調査の必要性を強調している。
遺骨返還について、内閣官房アイヌ総合政策室は収蔵先が判明し、収集過程の資料がそろうドイツの遺骨の調査を進める方針だ。既に在独日本大使館を通じて調査を実施。「2020年に北海道内に慰霊施設が建設されることをめどに返還交渉を進めたい」としている。
https://mainichi.jp/articles/20160922/k00/00e/040/185000c
『毎日新聞』2016年9月22日 08時36分
■アイヌ遺骨 頭骨2体、豪の博物館で確認 東大から流出
オーストラリアのメルボルン博物館で確認されたアイヌの遺骨について、東京帝国大医学部(現・東京大医学部)の小金井良精・名誉教授(1859〜1944年)が、豪州などの先住民アボリジニの遺骨と引き換えに送ったことが豪州の研究者の調査で分かった。「東大に豪州の男女の頭骨を保存している」との論文があることも判明。東大は「アボリジニ遺骨の所在は調査中」としている。
豪州・国立大のガレス・ナップマン研究員がアボリジニ遺骨調査を進める中、メルボルン博物館でアイヌの頭骨2体を確認した。
一緒に保管されていた小金井氏直筆の手紙や税関の書類によると、小金井氏は1935年7月にアイヌの男女1組の資料として下あごがない頭骨1人分と複製一つを同博物館に送った。小金井氏は36年9月にも、同大医学部解剖学教室の「Yokoo」氏が同年夏に収集した頭骨1人分を追加で送っていた。
一方、同教室の助教授を務めていた横尾安夫氏の1943年発表の論文には「東大解剖学教室に保存の六個の濠洲(豪州)人男女性頭骨」との記述がある。このうち同博物館からは、アボリジニの遺骨2人分が日本に送られた可能性があるという。
小金井氏はドイツ留学を経て東大の解剖学講座の教授を務め、日本の解剖学の草創期を築いた。アイヌの遺骨を用いた人類学的研究で知られ、1888〜89年には道内各地の墓地などから大量の遺骨を収集した。
【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/040/127000c
『毎日新聞』2016年8月7日 10時25分
■アイヌ遺骨 ドイツに17体 北海道協会が返還要請へ
【ベルリン中西啓介】研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨が、ドイツに17体保管されていることが分かった。当時の記録から、1体は19世紀にドイツ人が札幌市内の墓から盗掘し、運び込んだことも判明。北海道アイヌ協会によると、独国内で遺骨が確認されたのは初めて。協会は今後、日本政府を通じてドイツ側に調査や返還を求める方針だ。
★頭骨1体は札幌で盗掘
毎日新聞が入手した収蔵リストなどによると、独国内で保管されているのは、国所有の頭骨10体と骨1体▽民間団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)が所有する頭骨6体−−の計17体の遺骨。
このうち国所有4体とBGAEUの1体は日本国内で収集されたとみられる。11体は今のロシア・サハリンで収集され、1体の収集地は不明。いずれも19世紀後半以降、人類学などの研究資料として集められた。
国所有の遺骨はシャリテー・ベルリン医大が資料として収集した約8000体の骨の一部で、政府系機関ベルリン博物館連合(SMB)が管理する。戦争や東西ドイツ分裂により、長期間放置された。現在、データベース化に向けた作業が進められている。
SMBは、サハリンで収集された頭骨6体の写真を開示。頭骨の左側頭部に「Aino Sachalin Jacobsen」とあった。当時、アイヌの表記に使われた「Aino」と収集場所、収集者が記録された。
BGAEUは頭骨6体の確認を終えており、今後SMBが作成するデータベースに統合される。また、BGAEUにある頭骨1体は、札幌で盗掘されたことが1880年発行のドイツの民族学誌から判明した。
北海道アイヌ協会の佐藤幸雄事務局次長は「ドイツでの発見は、なぜアイヌが人類学のために研究され、盗掘の手法が用いられたのかを解明する手がかりになる」と話す。協会は海外に散逸した遺骨について国に調査の徹底を要請している。
https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/030/131000c
『毎日新聞』2016年8月7日08時19分
■アイヌ遺骨 返還に壁、独研究140年の歴史
【写真】当時ウィルヒョウが描いた頭骨のスケッチのコピー=ベルリンで2016年7月6日午前9時59分、中西啓介撮影
https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/1
【ベルリン中西啓介】ドイツで見つかったアイヌ民族の遺骨について、北海道アイヌ協会は返還を求める方針だ。だが、ドイツ側は「不適切な収集」の裏付けなどが必要だとの考えだ。長年放置されてきた遺骨の調査には、140年以上という歴史の壁が立ちはだかっている。
★「不適切収集」の証明必要
ベルリン中心部の国立図書館に19世紀発行の民族学誌が収蔵されていた。すり切れた布張りの表紙を開くと、アイヌの頭骨のイラストが次々と現れた。
執筆したのは、ベルリン大教授のルドルフ・ウィルヒョウ(1821〜1902年)。細胞病理学や人類学の礎を作った「権威」だ。
欧州でのアイヌ研究は、1860年代に英国で初めて遺骨が公開されたことで活発化した。「最も原始的な民族」とされたアイヌの骨を計測し、民族の特徴や人類の系統を解明しようとしたのだ。
ウィルヒョウは、1873年、同誌でアイヌの遺骨を入手したことを報告。93年の同誌では、7体の頭骨を保有していることを明かし「サンプルを増やしたい。東アジアの仲間にアイヌの骨を送るようお願いしたい」と熱心に訴えた。
「シュレージンガー氏が札幌の農業試験場(偕楽園)で収集した頭骨」。82年の民族学誌で、ウィルヒョウは具体的な収集者や収集場所を記載した。偕楽園は1871(明治4)年開設の札幌初の公園だ。
他の記録では、旅行家のウィルヘルム・ヨーストら複数のドイツ人が遺骨を独国内に運んだことも分かった。
運ばれた遺骨は今、どこにあるのか。人類学の資料を保管する研究機関に問い合わせる中で、ウィルヒョウが設立を主導した「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)と、彼が勤めたシャリテー・ベルリン医科大の収蔵品に残されていることが分かった。
BGAEU代表のウォルフラーム・シーア・ベルリン自由大教授は6月上旬、6体の遺骨が記録された収蔵リストを提示。「33番にシュレージンガーとあります」と説明した。
該当欄には「Aino(アイヌ) Yeso(蝦夷(えぞ)) Sapporo(札幌) Schlesinger(シュレージンガー)」とあった。毎日新聞の取材を受け、BGAEUは7月、ベルリン市内にある収蔵庫を調査。この遺骨を含む6体が今も保管されていることを確認した。
シュレージンガーはどのように遺骨を入手したのか。それを解く鍵は、ベルリンから約540キロ離れた独西部ボンにあった。
「冒とく行為がもたらす危険を避けるため、夜の闇に紛れ、素早く手前にあった頭骨を入手した」。1880年の民族学誌で、シュレージンガーが盗掘を報告したことが記録されていた。
この民族学誌を所有するボン大のハンスディーター・ウールシュレーガー博士は「当時は墓の盗掘に恥の意識がなかったことの表れだ」と指摘。「さらに多くの遺骨が収集された可能性が高く、独国内の研究機関は独自に調査すべきだ」としている。
★外交交渉、不可欠に
ドイツにあるアイヌの遺骨の多くは19世紀に収集された。戦争などにより長期間放置されたことから、返還に必要な情報の不足も懸念される。今回取材で見つかった17体の遺骨のうち、国所有の11体を管理するベルリン博物館連合(SMB)が所属する国の財団は、遺骨などの扱いに関する基本方針を公表している。
人体由来の収蔵品について、本人らの意思に反し「不適切に」収蔵された物でないかを調査。不適切だったり、収集地から異論が出たりした場合は話し合うとし「希望があれば返還も可能」とする。6体所有するBGAEUもこれに準拠する。
だが、不適切の定義は、収蔵者側の判断に委ねられている。また、SMBの収蔵品は国に所有権があるため、SMBは「アイヌ側との話し合いには応じるが、返還は政府の判断だ」と言う。BGAEUは「アイヌだからという理由で包括返還することはない」とし、遺骨の由来の特定を優先させる考えだ。
ベルリンには19世紀以降、人類学の研究拠点として1万体以上とも言われる遺骨が集められた。「20世紀最初の虐殺」とされるドイツの植民地・独領南西アフリカ(現ナミビア)でのヘレロ人虐殺でも、殺されたヘレロ人の遺骨が研究用として独国内に運ばれた。
遺骨の存在が外交問題化したことから、2011年にシャリテー・ベルリン医科大は20体の遺骨をナミビアに返還している。
ドイツ内のアイヌの遺骨のうち、取材で不適切な収集が確認できたのは、札幌で盗掘されたBGAEUの頭骨1体のみだが、北海道アイヌ協会は返還の対象を広げたい考えだ。
SMBが保管する遺骨の一部は、収集したヤーコブセンの旅行記から、サハリン南部コルサコフで収集されたことが分かっている。協会は、これらの遺骨についても、北海道に住むアイヌの祖先である可能性があるとし、調査を求める考えだ。
協会は日本国内に残された遺骨とドイツの頭骨を照合し、元の状態に復元した上で慰霊することを目指している。遺骨返還の実現には、日独の外交交渉が不可欠だ。
★ドイツに運ばれた遺骨の収集地と数
https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/2
国が所有し政府系機関SMBが管理=計11体
・サハリンで収集された頭骨6体
・北海道で収集されたとみられる頭骨4体
・収集地不明1体
民間団体BGAEUが所有=計6体
・札幌で収集された頭骨(シュレージンガーが収集)1体
・サハリンで収集されたとみられる頭骨5体
『毎日新聞』2017年6月5日 07時00分
■アイヌ遺骨 返還視野 日豪政府が交渉
アイヌ民族の遺骨3体がオーストラリア国内の博物館で保管されていることが昨年から今年にかけて相次いで判明し、豪政府が返還も視野に日本政府と交渉を始めたことが分かった。駐日豪大使が北海道アイヌ協会の代表者と8日にも札幌市内で面会し、遺骨の状況などを説明する。
アイヌなど先住民族の遺骨は19世紀以降、欧米などの研究者が人類学の研究目的で収集し、英国やドイツなどでも見つかっている。ドイツでは昨年17体が確認され、うち1体は1879年に札幌の墓地から盗掘されたものと特定。外交ルートを通じた初の返還が年内に実現する見込みだ。
オーストラリアで見つかった3体は、いずれも頭骨で、日豪の専門家の調査により、アイヌ研究で知られる東京帝大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)名誉教授(1859~1944年)が1911~36年にオーストラリアの研究者に送ったものと確認された。
調査に携わる北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)によると、国立メルボルン博物館で2体、国立オーストラリア博物館で1体が保管されている。このうちメルボルン博物館の1体は樺太(サハリン)で収集した記録があるという。
オーストラリアには、他国の先住民の遺骨について、遺骨が属するコミュニティーの求めに応じて返還すると定めた国内規定がある。
豪大使館は毎日新聞の取材に「オーストラリアと日本の先住民への理解を促進する機会にしたい」と話し、内閣官房アイヌ総合政策室は「(返還手続きなどは)豪政府側から情報提供を受けた後に検討する」としている。
【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20170204/k00/00m/040/145000c
『毎日新聞』 2017年2月4日 2月4日 08時24分
■アイヌ遺骨 発掘禁止令 19世紀、「不当な収集」根拠に
【写真】「極東にて」のコピー(手前左)とクライトナーに関する論文(右)=2017年1月31日午後4時2分、中西啓介撮影
【ベルリン中西啓介、ウィーン三木幸治】海外にアイヌ民族の遺骨が散逸している問題で、日本政府が19世紀後半、アイヌの墓の発掘を禁止する「命令」を出していたとみられることが、オーストリア人の旅行記から分かった。命令が確認されれば、海外からの遺骨返還に必要な「不当な収集」を裏付ける根拠となる可能性があり、専門家は日本政府による調査の必要性を指摘している。
命令についての記述があるのは、オーストリア人アイヌ研究者グスタフ・クライトナー(1847~1893年)の旅行記「極東にて」(1881年出版)。1878(明治11)年8月に北海道を探検した際のアイヌの調査などをまとめている。
クライトナーらは研究資料としてアイヌの頭骨を入手することを旅行の主要目的の一つにしており、当時北海道を管轄した「開拓使」とみられる官庁に墓の発掘許可を申請。だが、日本側は「政府はアイヌの墓に触れてはならないとする厳しい命令を出している」として、申請を却下していた。
命令の時期や詳細な内容の記述はないが、当時、札幌で農業指導をしていたドイツ出身のルイス・ベーマーはクライトナーに「(1865年に)函館近郊で英国人によるアイヌ遺骨窃盗事件が起きたため、住民の怒りを買う発掘は難しくなった」と背景を説明している。
独ボン大のウールシュレーガー博士(アイヌ学)は「事件は英国領事の辞職につながる大問題になった。命令は確実に存在したはずだ」と指摘。ドイツの指針では遺骨返還に「不当な収集」を裏付ける必要があるが、「命令が有効だった期間に海外に持ち出された遺骨は、全て不当収集と証明できる」という。
アイヌ民族は「最も原始的な民族」とされ、欧州では1860年代に人類学の研究対象として北海道などから多数が「収集」された。
https://mainichi.jp/articles/20161025/k00/00m/040/149000c
『毎日新聞』2016年10月25日 10時22分
■アイヌ遺骨 学者間で「流通」か 英独露、多様な人種収集
【写真】小金井良精・東京帝大医科大教授が1900年にハンス・ウィルヒョウ・ベルリン大教授に宛てて送った遺骨提供への礼状=提供写真
アイヌ民族の遺骨がドイツなど海外の研究機関に保管されている問題で、遺骨が研究者による「人骨流通ネットワーク」を通じ持ち出された可能性が浮上している。その実態解明は国外での収蔵先把握に不可欠で、専門家は研究者による調査の必要性を指摘している。【中西啓介】
人骨流通ネットワークは近年、ドイツの研究者が存在を指摘するようになった。19世紀後半の人類学研究では、頭骨計測のため大量の遺骨が収集された。多様な「人種」の骨を集めるため、英独露などの研究者間で、国内や植民地で収集された先住民らの遺骨が交換された。遺骨の売買も行われたとみられる。
ドイツには少なくとも17体のアイヌの遺骨が収蔵されている。日本国内でドイツ人が盗掘した物もあるが、一部はロシアから研究資料として寄贈された記録が残る。北海道大大学院の小田博志教授(人類学)は「こうしたネットワークの中心はベルリンやロンドンなどだった」と話す。
ドイツ留学後、日本でアイヌを研究した東京帝大医科大(現東大医学部)教授の小金井良精(よしきよ)(1859~1944年)は1900年、ベルリン大教授のハンス・ウィルヒョウ(1852~1940年)に、遺骨提供への謝意をはがきで述べている。
はがきについて小田教授は「日本も人骨流通ネットワークの一部だったことを示す」と指摘。新たにアイヌの遺骨を発見するためにも海外の研究機関に残された「標本」購入や交換の記録を調べ、ネットワークの実態を解明することが重要だとしている。北海道アイヌ協会の加藤忠理事長も調査の必要性を強調している。
遺骨返還について、内閣官房アイヌ総合政策室は収蔵先が判明し、収集過程の資料がそろうドイツの遺骨の調査を進める方針だ。既に在独日本大使館を通じて調査を実施。「2020年に北海道内に慰霊施設が建設されることをめどに返還交渉を進めたい」としている。
https://mainichi.jp/articles/20160922/k00/00e/040/185000c
『毎日新聞』2016年9月22日 08時36分
■アイヌ遺骨 頭骨2体、豪の博物館で確認 東大から流出
オーストラリアのメルボルン博物館で確認されたアイヌの遺骨について、東京帝国大医学部(現・東京大医学部)の小金井良精・名誉教授(1859〜1944年)が、豪州などの先住民アボリジニの遺骨と引き換えに送ったことが豪州の研究者の調査で分かった。「東大に豪州の男女の頭骨を保存している」との論文があることも判明。東大は「アボリジニ遺骨の所在は調査中」としている。
豪州・国立大のガレス・ナップマン研究員がアボリジニ遺骨調査を進める中、メルボルン博物館でアイヌの頭骨2体を確認した。
一緒に保管されていた小金井氏直筆の手紙や税関の書類によると、小金井氏は1935年7月にアイヌの男女1組の資料として下あごがない頭骨1人分と複製一つを同博物館に送った。小金井氏は36年9月にも、同大医学部解剖学教室の「Yokoo」氏が同年夏に収集した頭骨1人分を追加で送っていた。
一方、同教室の助教授を務めていた横尾安夫氏の1943年発表の論文には「東大解剖学教室に保存の六個の濠洲(豪州)人男女性頭骨」との記述がある。このうち同博物館からは、アボリジニの遺骨2人分が日本に送られた可能性があるという。
小金井氏はドイツ留学を経て東大の解剖学講座の教授を務め、日本の解剖学の草創期を築いた。アイヌの遺骨を用いた人類学的研究で知られ、1888〜89年には道内各地の墓地などから大量の遺骨を収集した。
【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/040/127000c
『毎日新聞』2016年8月7日 10時25分
■アイヌ遺骨 ドイツに17体 北海道協会が返還要請へ
【ベルリン中西啓介】研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨が、ドイツに17体保管されていることが分かった。当時の記録から、1体は19世紀にドイツ人が札幌市内の墓から盗掘し、運び込んだことも判明。北海道アイヌ協会によると、独国内で遺骨が確認されたのは初めて。協会は今後、日本政府を通じてドイツ側に調査や返還を求める方針だ。
★頭骨1体は札幌で盗掘
毎日新聞が入手した収蔵リストなどによると、独国内で保管されているのは、国所有の頭骨10体と骨1体▽民間団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)が所有する頭骨6体−−の計17体の遺骨。
このうち国所有4体とBGAEUの1体は日本国内で収集されたとみられる。11体は今のロシア・サハリンで収集され、1体の収集地は不明。いずれも19世紀後半以降、人類学などの研究資料として集められた。
国所有の遺骨はシャリテー・ベルリン医大が資料として収集した約8000体の骨の一部で、政府系機関ベルリン博物館連合(SMB)が管理する。戦争や東西ドイツ分裂により、長期間放置された。現在、データベース化に向けた作業が進められている。
SMBは、サハリンで収集された頭骨6体の写真を開示。頭骨の左側頭部に「Aino Sachalin Jacobsen」とあった。当時、アイヌの表記に使われた「Aino」と収集場所、収集者が記録された。
BGAEUは頭骨6体の確認を終えており、今後SMBが作成するデータベースに統合される。また、BGAEUにある頭骨1体は、札幌で盗掘されたことが1880年発行のドイツの民族学誌から判明した。
北海道アイヌ協会の佐藤幸雄事務局次長は「ドイツでの発見は、なぜアイヌが人類学のために研究され、盗掘の手法が用いられたのかを解明する手がかりになる」と話す。協会は海外に散逸した遺骨について国に調査の徹底を要請している。
https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/030/131000c
『毎日新聞』2016年8月7日08時19分
■アイヌ遺骨 返還に壁、独研究140年の歴史
【写真】当時ウィルヒョウが描いた頭骨のスケッチのコピー=ベルリンで2016年7月6日午前9時59分、中西啓介撮影
https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/1
【ベルリン中西啓介】ドイツで見つかったアイヌ民族の遺骨について、北海道アイヌ協会は返還を求める方針だ。だが、ドイツ側は「不適切な収集」の裏付けなどが必要だとの考えだ。長年放置されてきた遺骨の調査には、140年以上という歴史の壁が立ちはだかっている。
★「不適切収集」の証明必要
ベルリン中心部の国立図書館に19世紀発行の民族学誌が収蔵されていた。すり切れた布張りの表紙を開くと、アイヌの頭骨のイラストが次々と現れた。
執筆したのは、ベルリン大教授のルドルフ・ウィルヒョウ(1821〜1902年)。細胞病理学や人類学の礎を作った「権威」だ。
欧州でのアイヌ研究は、1860年代に英国で初めて遺骨が公開されたことで活発化した。「最も原始的な民族」とされたアイヌの骨を計測し、民族の特徴や人類の系統を解明しようとしたのだ。
ウィルヒョウは、1873年、同誌でアイヌの遺骨を入手したことを報告。93年の同誌では、7体の頭骨を保有していることを明かし「サンプルを増やしたい。東アジアの仲間にアイヌの骨を送るようお願いしたい」と熱心に訴えた。
「シュレージンガー氏が札幌の農業試験場(偕楽園)で収集した頭骨」。82年の民族学誌で、ウィルヒョウは具体的な収集者や収集場所を記載した。偕楽園は1871(明治4)年開設の札幌初の公園だ。
他の記録では、旅行家のウィルヘルム・ヨーストら複数のドイツ人が遺骨を独国内に運んだことも分かった。
運ばれた遺骨は今、どこにあるのか。人類学の資料を保管する研究機関に問い合わせる中で、ウィルヒョウが設立を主導した「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)と、彼が勤めたシャリテー・ベルリン医科大の収蔵品に残されていることが分かった。
BGAEU代表のウォルフラーム・シーア・ベルリン自由大教授は6月上旬、6体の遺骨が記録された収蔵リストを提示。「33番にシュレージンガーとあります」と説明した。
該当欄には「Aino(アイヌ) Yeso(蝦夷(えぞ)) Sapporo(札幌) Schlesinger(シュレージンガー)」とあった。毎日新聞の取材を受け、BGAEUは7月、ベルリン市内にある収蔵庫を調査。この遺骨を含む6体が今も保管されていることを確認した。
シュレージンガーはどのように遺骨を入手したのか。それを解く鍵は、ベルリンから約540キロ離れた独西部ボンにあった。
「冒とく行為がもたらす危険を避けるため、夜の闇に紛れ、素早く手前にあった頭骨を入手した」。1880年の民族学誌で、シュレージンガーが盗掘を報告したことが記録されていた。
この民族学誌を所有するボン大のハンスディーター・ウールシュレーガー博士は「当時は墓の盗掘に恥の意識がなかったことの表れだ」と指摘。「さらに多くの遺骨が収集された可能性が高く、独国内の研究機関は独自に調査すべきだ」としている。
★外交交渉、不可欠に
ドイツにあるアイヌの遺骨の多くは19世紀に収集された。戦争などにより長期間放置されたことから、返還に必要な情報の不足も懸念される。今回取材で見つかった17体の遺骨のうち、国所有の11体を管理するベルリン博物館連合(SMB)が所属する国の財団は、遺骨などの扱いに関する基本方針を公表している。
人体由来の収蔵品について、本人らの意思に反し「不適切に」収蔵された物でないかを調査。不適切だったり、収集地から異論が出たりした場合は話し合うとし「希望があれば返還も可能」とする。6体所有するBGAEUもこれに準拠する。
だが、不適切の定義は、収蔵者側の判断に委ねられている。また、SMBの収蔵品は国に所有権があるため、SMBは「アイヌ側との話し合いには応じるが、返還は政府の判断だ」と言う。BGAEUは「アイヌだからという理由で包括返還することはない」とし、遺骨の由来の特定を優先させる考えだ。
ベルリンには19世紀以降、人類学の研究拠点として1万体以上とも言われる遺骨が集められた。「20世紀最初の虐殺」とされるドイツの植民地・独領南西アフリカ(現ナミビア)でのヘレロ人虐殺でも、殺されたヘレロ人の遺骨が研究用として独国内に運ばれた。
遺骨の存在が外交問題化したことから、2011年にシャリテー・ベルリン医科大は20体の遺骨をナミビアに返還している。
ドイツ内のアイヌの遺骨のうち、取材で不適切な収集が確認できたのは、札幌で盗掘されたBGAEUの頭骨1体のみだが、北海道アイヌ協会は返還の対象を広げたい考えだ。
SMBが保管する遺骨の一部は、収集したヤーコブセンの旅行記から、サハリン南部コルサコフで収集されたことが分かっている。協会は、これらの遺骨についても、北海道に住むアイヌの祖先である可能性があるとし、調査を求める考えだ。
協会は日本国内に残された遺骨とドイツの頭骨を照合し、元の状態に復元した上で慰霊することを目指している。遺骨返還の実現には、日独の外交交渉が不可欠だ。
★ドイツに運ばれた遺骨の収集地と数
https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/2
国が所有し政府系機関SMBが管理=計11体
・サハリンで収集された頭骨6体
・北海道で収集されたとみられる頭骨4体
・収集地不明1体
民間団体BGAEUが所有=計6体
・札幌で収集された頭骨(シュレージンガーが収集)1体
・サハリンで収集されたとみられる頭骨5体