三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

『真相 海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡』第五章 4

2015年08月27日 | 海南島近現代史研究会
■「海南岛记事/金智媛」の原文は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『会報』28号(1998年10月18日発行)に掲載されたものです。その全文はつぎのとおりです。これを書いたとき、金智媛さんは19歳でした。


   海南島でのこと
                金智媛

 6月の末にキム チョンミさんと佐藤正人さんと歴史の調査のために中国の海南島に行った。
 海南島は中国というよりも東南アジアのようだった。ビルが立ち並ぶような街もあったが、田舎ののどかな風景が残る場所がたくさんあって、緑のジャングルとたんぼと赤茶色の土の道と、その道ばたを牛が散歩しているような光景によく出会った.
 私は移動中のタクシーやバスの中で窓の外の景色を見るのが楽しかった。海南島の人たちはとても親切で田舎へいけばいくほど私達はものめずらしげに見られた。海南島で私は政治協商会議に行った。初めての調査だった。私達が海南島に来た目的を話すと、政治協商会議のおじさんは丁寧に色々な戦争当時の話をきかせてくれて、その話はすごくリアルで胸に響くようだった。私はどうして今までこういう話を聞かずにいれたんだろうと思った。私たちは話を聞き、何が起こったのか、誰がなにをしたのかをまず知らなくてはならないと思う。そして私はそこで話を聞いて初めて、戦争のこと、調査のことや色々なことを実感することができた。
 そして私は、キム チョンミさんと佐藤正人さんや調査であった人達の会話なんかを聞いて思うことがあった。何か同じ思いや目的を持つ人たちはそれだけで仲間になれるのだ。すごく羨ましい。
 私は戦争の話をたくさん聞き、実際にそれが起こった場所や追悼碑も見に行った。話を聞かせてくれる人の中には、体験者である人もいた。私は第二次大戦中、日本が海南島で何をしてきたかを知った。海南島だけではなくアジアの他の国でもだ。その傷跡は今も至るところに残っているのだろう。日本ではその事実は多くは知られていないそうだ。私も行く前は海南島という島があることさえ知らなかった。その問題には興味を持たないで、今現在の日本とアジアとそして世界の関係しか見ていない人は多いと思う。私もそのうちの一人だった。すこしは知ってはいても、忘れていることの方が多かった。私は今の日本の姿を多く見ていた。私はそのことを思い出し、更に多くのことを知る機会に恵まれて良かったと思う。戦争はその形や大きさの違いはあるとしても、結局どちら側にもたくさんの傷を残す。たくさんの人が死んで、たくさんの哀しみや憎しみが生まれて、今もそれは続いている。
 私は今回の旅行で、初め期待していた以上に多くの物を得ることができた。中国に行くことができて良かった。
 日本に帰ってしばらく中国での事が頭から離れなくて、いつもの生活になれるのに時間がかかった。考えることが沢山あった。だけど今はその半分も考えない。私は今中国で学んだことを忘れないようにしなくてはならないのだと思う。
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