三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」について 6

2010年04月13日 | 紀州鉱山
 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会が、ことし2月1日に、熊野市長と教育長に、2月15日を回答期限として送った熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」についての質問書に、いつまでたっても回答がないので、昨日(4月12日)、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、熊野市に、速やかに回答することを求める電話をしました。
 電話に応答したのは、南佳壽熊野市社会教育課課長でした。
 4月14日に回答を求めに熊野市役所に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会が行く、と言うと、南課長は、「会うことはできない。前任者から、もう熊野市は会わないことになっていると聞いている」と言って、一方的に電話を切りました。
 2月1日の文書で、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、「熊野市が、イギリス兵の遺骨が埋葬されていない“現在の英国人墓地”を文化財として指定している理由」、あるいは「“現在の英国人墓地”に埋められているという“灰”が、イギリス兵の遺骨の灰なのか」など、熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」にかかわる重大な疑問に明快に答えることを要求しています(その全文は、2月1日に、このブログに掲載してあります)。2月27日にこのブログに掲載した「熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」について5」も参照してください。
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