三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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丁炳碩さんの証言

2010年04月09日 | 紀州鉱山
 ことし1月31日に、江原道麟蹄郡麒麟面の自宅で聞かせていただいた丁炳碩さん(丁榮さんの子)の証言です。丁榮さん(1917年9月生)は、1944年11月9日に紀州鉱山に連行され、「運搬夫」として働かされました。麒麟面の自宅で1999年陰暦3月27日に亡くなりました。

 わたしが7歳のとき、アボヂが日本に連れていかれ、解放後に戻ってきた。
 アボヂがいない間、オモニは、ハラボニムと農業をしながら、ありとあらゆる苦労をした。
 アボヂが連れて行されたとき、区長がさきに捕まり、それから村人が順に連行された。
 日本人が里長に指示して、一か所に集め、連れていった。アボヂが行くのを家で見送った。そのときのことは覚えている。日本のどこかはわからないが、日本に〝労務者〝として行くとわかっていた。
 そのころ、家には子どもが7人いて、苦しい生活をしていたが、それでも捕まえていった。
 アボヂは漢文にたけ、手先が器用だった。それで、日本では、手紙などを代筆したりしたと聞いた。三重県では、鉱山での労働がとても厳しかったと話していた。
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