三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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『台湾日日新報』の記事

2010年02月15日 | 海南島近現代史研究会
 竹本昇「1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 3」の後半の内容は、つぎのとおりです。

■『台湾日日新報』記事の内容
 『台湾日日新報』は、日本の台湾統治下で台湾総督府の植民地統治政策の遂行にとって重要な役割を果たしたメディアです。
 1895年4月17日、「日清講和条約」が締結され、日本は清国から台湾を「割譲」されました。その3年後の1898年5月6日に『台湾新報』(薩摩派)と『台湾日報』(長州派)という二つの日系新聞が合併して『台湾日日新報』が創刊されました。
 この新聞は守屋善米衛という民間人が創設した民営の新聞ですが、台湾総督府から毎年4800円の公的補助を受け、事実上総督府の官報として日本による台湾統治において重要なイデオロギー的機能を果たしました。
 『台湾日日新報』は台湾内だけでなく中国南部、太平洋諸島にまで読者を増やし、最盛期には5万部まで発行数を伸ばしました。1944年3月31日に『台湾新報』に合併されました。
 日本陸海軍の海南島奇襲攻撃直後の『台湾日日新報』の記事の内容はつきのとおりです。

●1939年2月11日 夕刊(2月10日発行)
 1頁トップに「我が陸海軍精鋭部隊 海南島に奇襲上陸」という大見出の記事、左上に海南島の地図を載せて、全ページほとんどが海南島侵略を賛美する記事で埋めています。
 10日午前9時55分大本営陸海軍部公表として、陸海軍の協力のもとに、2月10日未明に集結し、奇跡的敵前上陸に成功し、世界史の一頁に感激の金字搭を樹立したと、侵略を讃えています。また、「敵」は、海南島侵略を予想しておらず、日本軍の損害は皆無であると書かれています。
 海南島を紹介する記事として、海南島の位置、山河、土地、気候、農産物、鉱山資源、人口について、概要を記述しています。
 東京発として、海軍省記者室での海軍報道部長の記者発表を、素晴らしい奇襲上陸、奇襲的公表と賛美しています。広東の新聞も号外を発行し、「今次新作戦の断行により支那(ママ)側の日本依存の念は一層拍車がかかる」と書かれています。
 小林総督の談として「広東の攻略と同等の歓びを感ずる」とし、「軍に協力し軍の目的達成に力を致さねばならぬと考えている」と報じられています。
 この紙面にも、板垣陸軍相が、貴族院で海南島侵略を報告したという記事が載せられています。

【みだしの抜粋】
「我が陸海軍精鋭部隊 海南島に奇襲上陸 大本営陸海軍部公表」、「堂々南海を圧し 壮絶!敵前上陸 世界史に輝く不滅の金字塔 ○○艦上にて同盟特派員発」、「攻略を夢想だにせず 総司令は不在 抗日拠点覆滅間近し」、「損害は皆無 上陸は成功」、「海南島の概要 広東省所属の大島」、「広東の新聞も号外を発行 全市民皇威に驚歓」、「号外発表」、「発表も奇襲的 敵前上陸成功に歓声湧く」、「台湾と海南島は古来、関係が深い 先人の南進策を偲んで 小林総督語る」、「貴族院本会議」

●1939年2月11日 朝刊
 海南島侵略賛美の記事で埋められています。1頁にはほぼ全面に、2頁、7頁、株式欄に、記事があります。
 大本営陸軍部発表の瓊州と海口を占領、この占領により支那(ママ)西南方面の海上封鎖の効果があること、海口の住民は居住しており家も家財も破損しておらない、と報道しています。
 陸の荒鷲高橋部隊による爆弾攻撃の様子、海の荒鷲機による陸海軍の協力により、海口と瓊州を占領したと書かれています。
 海口住民に対して、日本軍に抵抗したり、敵軍に情報を提供する者は、断じて許さないと布告し、宣撫行動として布告を貼り、宣撫班の中にはユーモア作家や兵隊文学で有名な軍曹も参加していること。住民が日章旗を振って歓迎の意を表し、駐屯支那軍の暴虐を日本軍に訴えるものもある、と書かれています。
 米内海軍相と「総長宮殿下」が、東京から海南島の陸海軍に祝電を送っていること。板垣陸軍相が衆議院と貴族院で、海南島侵略を報告し、議場は感動が湧き流れたこと。小林台湾総督が陸海軍大臣などに祝電を送り、台湾神社に海南島制覇に感謝の「参拝」をしたこと。馬公(マコウ)要港部でも、原司令官が喜びを満面に表した、と書かれています。
 社説では、奇襲上陸の成功を国民の快報とし、海南島の攻略の意義としては、南支方面作戦の根拠地となり、援蒋ルートを覆滅するもので重要と書いています。さらに、イギリスとフランスに対して、阻害的行為は有害なものとして反省すべきであると書かれています。
 社説とは別に、海南島侵略は、日佛協約(1907年)になんら抵触しないとの外務省の部長談を載せています。
 海南侵略と十一日の「紀元節」を祝い、台湾全島では、総督府によって旗行列と提灯行列が行われることが報じられ、「海南島占領を祝う」として、昼は児童の旗行進、夜は一般市民が提灯行列をすると書かれています。
 この海南島侵略より先に、海南島に住んでいた民間人の声として、「皇軍の上陸を待ち焦がれていた」とし、鉱物資源が豊富であることを語っている記事を載せ、株式蘭では、海南島侵略によって、株が上がったと書かれています。

【みだしの抜粋】
「瓊州と、海口を占領 我が上陸先頭部隊」、「我に損害殆どなし」、「陸海の荒鷲交交(こもごも) 敵軍に巨弾の雨」、「海南島の攻略とその意義」、「海相が祝電」、「日佛協約に抵触せね 河相外務情報部長談」、「祝電を賜う 両総長宮殿下から陸海最高司令官に」、「抵抗すれば仮借せぬ 大日本軍司令官の名で布告」、「宣撫班も上陸 直に活動開始 布告を貼りビラを撒布」、「上陸作戦経過」、「馬公(マコウ=台湾澎湖県(ほうこけん)に歓声」、「廣西軍大狼狽 白崇禧防備を厳命」、「武器輸送路 大脅威 海上封鎖強化」、「総予算案可決 きのう衆議院予算総会にて」、「議場に興奮の渦 海南島占拠と貴族院」、「天無口」(編集者の意見のコーナー)、「海南島上陸を祝し、旗行列と提灯行列 あす全島一斉に挙行」、「海南島占領を喜ぶ人 待望の日は来た 在島四十余年の労苦を偲びつつ 勝間田老人が感慨無量」、「鉱産物は無限 上京中の平田氏は語る」、「小林総督が あす台湾神社に参拝 海南島制覇感謝の祈願」、「小林総督から祝電を発送」、「昼は児童の旗行進 夜は一般市民が提灯の行列隊 海南島占領を祝う島」、「其隆でも行列隊」、「海南島進撃の報に 上向き新東値引」、「財界株界」(編集者の意見のコーナー)

●1939年2月12日 夕刊(2月11日発行)
 1頁の最初に、海口、瓊州の占領の報道記事を載せています。2段目左に「皇軍上陸の海南島鳥瞰図」が載せられています。
 「皇軍」のために献身的に通訳その他の仕事をしていた民間人が、海南島侵略に感激の涙を流し、「わしを迫害した支那人共今こそ思い知ったらう、今日の感激は忘れることはできない、海南島は宝島だ」という語っている記事が載せられています。
 海南島侵略に対する各国の世論として、ドイツは日本軍の武威を賞賛、イギリスは軍事上の見地から相当重視、アメリカは静観、フランスは印度支那の地位が脅かされることを懸念していると書かれています。
 陸軍相が、南支那派遣陸海軍最高司令官宛に祝電を送ったこと。海口の街は、半数は生業を営んでおり、市場も平常通り開いており、平和な光景であると書かれています。
 この日の新聞にも、10日未明の海南島上陸の様子を「国民の待望久しき海南島攻略」と称して、襲撃の様子を伝えています。
 「紀元節」と海南島侵略を「感激の二重奏に沸きたる島都」と書いて、台北では、女学生、小公学校生が旗行列を行ったこと、新竹、馬公でも旗行列が行われたと書いています。行列の様子の写真が6枚載せられています。

【みだしの抜粋】
「海口、瓊州の占領で全島の死命制圧 上陸軍の神速な進撃振りは燦(サン)として戦史に輝く」、「各方面に進撃中 十一日大本営陸軍部発表」、「陸海軍の連絡成る」、「海南島は宝島だ もう思い残すことはない 勝間田翁が感激の涙」、「各国の輿論 武威を賞賛 英国は重視 米国は静観 佛国は懸念 佛蘭西の脅威」、「平和な海口街 市場も平常とおりに開店 住民の半数は正業を楽しむ」、「陸軍が祝電」、「上陸成功の信号に 湾頭に万歳の嵐 天佑、決行前に風波歇(ヤ)む」、「皇軍上陸の海南島鳥瞰図」、「感激の二重奏に沸き立つ島都 小、公、女学生徒が旗行列(旗行列の写真2枚掲載) 新竹 馬公」

●1939年2月12日 朝刊
 この日の朝刊も、1頁のほとんどが、海南島侵略に関する記事で埋められています。
 最初に、「最近露骨に援蒋政策を執り日本に不遜な態度に出でつつあるフランスに対し断乎鉄槌を下した」と延べ、佛国は黙視する模様、アメリカは直接の関心事ではない、と書いています。
 瓊州と海口を占領し日章旗を翻し、「敵の遺棄死体百九十五、捕虜四十七、捕獲品小銃四十五、小銃弾五千発、軽機一、自動車一、無電機二」を戦果して報道しています。
 海軍が、海口で軍艦旗を翻し「紀元節」を祝い、「東天を遥拝する感激に思わず記者の目頭も熱なるのだった」。大本営海軍報道部発表として、海軍航空隊が、十一日も爆撃したこと。今回の上陸作戦が、完全な秘密と気候面で恵まれたことを天佑として、神助に感謝すると書かれています。
 安藤最高指揮官が飛行機で戦火を視察し満足したこと。海南島の住民が侵略軍である日本軍を喜んで出迎えたということ。広東治安維持会が満腔の慶祝を表し、親日に邁進したいと表明していること。国民政府が狼狽し、第三国の同情を引くため誇大宣伝しているが、それは「大童の態」と書かいています。

【みだしの抜粋】
「皇軍の海南島制圧は佛蘭西に対する鉄槌 最近露骨な援蒋政策」、「佛国は沈黙」、「米は張合い抜け」、「瓊州城占領まで 途中頑強に抵抗する敵を蹴散らして進撃」、「海口で感激の紀元節」、「片ツ端から敵陣爆撃 海の荒鷲十一日も出動」、「第三国の諜報網も完全に封鎖す 作戦の成功は天佑」、「安藤最高指揮官 宣戦を視察 飛行機に搭乗して」、「国民政府も上陸を認む」、「誇大宣伝に国府は大童」、「新戦場の感更にになし 電燈煌煌として夜を照らし 住民は嬉々ちして皇軍を出迎ふ」、「満腔の慶祝 彭(ホウ)広東治維会委員長談」

●1939年2月13日 朝刊
 1頁の半分が海南島関係の記事で埋められています。
 抵抗するものには断固として追求の手を緩めぬが帰順者は積極的に援助して正業につかせるという宣撫工作が行われていること。南方の重要拠点を占拠したこと。海口、瓊州攻略が半日満たない時間で遺棄死体250として、戦果を誇っていること。支那(ママ)側の武器輸入を図っていた西南ルートを完全に遮断したこと。海口の住民が日本軍を歓迎したと書き、海口に維持会が結成され、日本軍に協力を求めたと書かれています。
 フランスが、海南島占領について、日本政府に申入れることが記されています。

【みだしの抜粋】
「海南島に散在の敵総勢数は1万 帰順者は積極的に援助」、「○○重要地点を占拠」、「敵の遺棄死体二五〇」、「西南ルート完全遮断」、「海口に維持会 皇軍に協力方を懇願」、「佛が日本に申入れ 海南島占領について」

●1939年2月14日 夕刊(2月13日発行)
 1頁に、海南島と雷州半島の空爆の様子。海口海関を接収したことをアメリカの海口税関長に申し入れ、アメリカは異論がないと応えたこと。フランス領事館を訪問し、フランス側から、治安確保に対して感謝されたこと。海口には、総領事館出張所が設けられたこと。イギリス政府もフランス同様、海南島占領について日本政府に申入れを行う予定であること。海口湾上陸における海岸の砂地を驀進(ばくしん)した様子を、堤○○部隊長の話として掲載しています。

【みだしの抜粋】
「海南島、雷州半島の要地を海軍機が爆撃 陸戦隊は残敵を掃蕩」、「海口海関を接収 十三日正式に申渡す」、「一尺もめり込む 渚の砂地を驀進 堤○○部隊長の話」、「日本軍の親切に敬服 佛領事が懇篤な答禮」、「英国も申入れ」、「総領事館出張所 早くも設置 松平総領事が海口へ」

●1939年2月14日 朝刊
 社説では、海口と瓊州の住民が喜んで皇軍を迎え、逸早く治安維持会の結成に皇軍の協力を求めている、フランスとイギリスの制海権を遮断して痛快の極みである。イギリス・フランスから申入れがあっても意に介する必要がない。蒋政権の武器供給を絶つべき、と論じています。
 13日の衆議院本会議で板垣陸軍相が海南島侵略のための上陸の成功を報告したところ、満場一致の拍手が起こり、感謝文を送ることを決議しことが書かれています。
 有田外相がフランス大使に、海南島占領は軍事上の必要からであることを説明し、フランス大使が了承した。イギリスも、海南島占領について日本政府に説明を求めるであろうと書いています。「満州」の「新京」では、海南島攻略が成ったとして台湾総督児玉太郎を記念して児玉公園を建設したことが写真入りで報道されています。
 海口では、皇軍を歓迎し市民が敵意を持たず、自治会の結成が図られている。不時着の飛行機の中で援軍を待つ日本兵を、海南島の住民が助けたことをもって、海南島民が支那(ママ)軍の圧制から解放され、日本軍を喜び迎えていること示す一例と書いています。海口市街などの写真4枚が掲載されています。
 近藤海軍最高司令官が戦場跡を視察し、「よくやってくれた」とつぶやき感激の涙が光っていたと書いています。
 香港に居住している海南島関係団体が、海南島侵略に驚き、緊急会議が開かれたと書いています。

【みだしの抜粋】
「社説 海南島の攻略と所謂申入れ 無介意で目的に邁進」、「感謝決議文」、「新京に“児玉公園”建設(「南支から遂に海南島の攻略まで成った」とのキャプションに写真掲載)」、「英佛が共同措置」、「海口に新秩序建設 市民は避難せずに皇軍を迎ふ 自治体結成は旬日(ジュンジツの間」、「近藤海軍最高指揮官 戦跡を視察 海南島に上陸して」、「軍事上の必要から海南島を占領 有田外相、佛大使に説明」、「けふの両院」、「海南島に咲いた日支親善の華」、(海口市街の写真掲載)

●1939年2月15日 夕刊(2月14日発行)
 1頁におおみだしをつけて、海南島の南部の侵略を大々的に掲載しています。三亜、新村を占領したこと。瓊州にも自発的に治安維持会の結成されつつあり、日本軍に指導を懇請したと書いています。貴族院本会議では、海南島侵略について、感謝と祝賀の電報を発することを決議したと書いています。
海南島侵略に驚いた白崇禧が、桂林で会議を開くことを決定したと書かれています。
 海南島の概要として、崖縣の交通は不便、三亜港は大型船の出入り困難との説明が書かれています。「その日その日」の蘭では、海南島から矢継早の快報と書かれています。

【みだしの抜粋】
「海南島の南部にも陸戦隊が敵前上陸 南進の陸部隊に策応」、「東西に向け分進」、「南端の三亜街を占拠」、「新村を陥れ○○○へ」、「瓊州にも治維会 有力者が結成申合せ」、「西南軍将領に桂林参集を命ず 海南島占領に驚き」、「海南島攻略の皇軍に感謝決議 十四日貴族院本会議」、「感謝決議文」、「その日その日」、「海南島の概要(二) 崖懸の地勢と面積」

●1939年2月16日 夕刊(2月15日発行)
 1頁のトップに、海南島の全島民が皇軍を歓迎し、蒋政権からの独立の気運が高まっていること。楡林を完全に占領したこと。アメリカのアジア艦隊駆逐隊司令ジョン・ズタップラー大佐が、皇軍の手によって在留米人の生命財産が完全に保護されていることに感謝したと書かれています。フランスが、日本の海南島占領に伴って、カムラン湾の軍事施設を強化するため3億法(フラン)を予算化したこと。海南島占領によって雲南の人々が恐怖に怯えていると報道されています。
 海南島の概要として、崖縣県知事が行政を改革したことや税制度を見直したということが書かれています。

【みだしの抜粋】
「海南島 独立機運澎湃(ホウハイ) 挙島皇軍を歓迎」、「楡林を完全に占拠」、「目的の○○に肉薄」、「日米交驩(コウカン)の乾杯 ズ米国駆逐隊司令が我が両司令官を訪問」、「佛がカムラン湾の軍事施設強化 三億法を予算に計上」、「雲南の人心恟恟(キョウキョウ)」、「海南島の概要(三)」
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