三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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月塘村虐殺 ソンミ村虐殺 2

2007年09月03日 | 月塘村
 ソンミ虐殺7年1か月半後、1975年4月30日、ベトナム民衆は、勝利しました。
 その翌年、1976年に、クァンガイ省ソンミ村ミライの虐殺現場に「ソンミ遺跡地区(the Son My Vestige Area)」が設定され、その後、この地区に、追悼碑が建てられ、1992年に「記念館」が建てられ、犠牲者の遺品などが展示されました(「記念館」は、2005年全体改修)。
 この館内の壁には、虐殺された504人の犠牲者(182人が女性、そのうち17人が妊婦。173人が子ども、そのうち生後5か月未満の人が56人、60歳以上の老人が60人)すべての名が記されたプレートが掲げられています。
 1998年にクァンガイ省総合博物館(QUANG NGAI GENERAL MUSEUM)は、ソンミ虐殺にかかわる歴史的事実を述べる冊子『ソンミ回想(A look back upon Son My)』を発行しました。
      昨年、『赤旗』の鈴木勝比古記者は、USA軍のベトナムでの侵略犯罪について、
     次のような内容の報道をしています(『赤旗』2006年8月27日)。
        ベトナム中部、ソンミ村北方のクァンナム省ディエンバン県ディエンチュン
       村チュンザンで、USA軍は、1968年2月11日に、村人18人を井戸の近くに連
       行し、一斉射撃して殺害した。その4日後、USA軍B52爆撃機が埋葬場所を
       爆撃した。ソンミ村虐殺の1か月前だった。遺族が中心になり、2000年に虐
       殺現場に追悼碑を建てた。ディエンバン県の南隣りのズイスエン県では文化・
       通信室所属博物館の女性研究員トゥエットさんが県内のベトナム戦争被害の聞
       き取り調査を続けてきた。トゥエットさんの調査によると、1967年~1970年の
       4年間に、USA軍は3か村で265人を殺害した。
                                                   佐藤正人
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