三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

“大逆事件”と“木本事件”

2006年12月05日 | 木本事件
 平等社会をめざし、天皇制を否定し、侵略と差別に反対する民衆の運動をおしつぶそうとして、天皇制日本国家権力者は、「韓国併合」(1910年8月29日「韓国併合ニ関スル条約」公布)の3か月まえ、「大逆事件」創作を開始しました。
 1911年1月24日に、幸徳秋水さん、内山愚童さん、大石誠之助さん、森近運平さん、宮下太吉さん、古河力作さん、奥宮健之さん、成石平四郎さん、新美卯一郎さん、松尾卯一太さん、新村忠雄さんの11人が、東京監獄で、つぎつぎと絞首され、1月25日に、管野すがさんが絞首されました。
 それから95年が過ぎました。

 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会は、12月2日の、木本虐殺80年後の追悼集会当日と翌日の2日間、熊野市民会館で、“木本事件”と日本の海南島侵略にかんするパネルとともに、「大石誠之助さんら刑死後95年・木本虐殺後80年」、「“大逆事件”と“木本事件”」、「熊野地域の“大逆事件”犠牲者」を主題とする3枚の大型パネルを展示しました。
 また、追悼集会の前日(12月1日)に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会は、新宮の南谷墓地の高台にある、大石誠之助さんの墓、峯尾節堂さんの墓、高木顕明さんの墓と「高木顕明師顕彰碑」を訪ね、つづいて、春日町の一角にある紀州・熊野地域の「大逆事件」犠牲者(大石誠之助さん、成石平四郎さん、成石勘三郎さん、高木顕明さん、峯尾節堂さん、久保誓一さん)の「顕彰碑」を訪ねたあと、春日町隣りの馬町にある浄泉寺を訪ねました。浄泉寺は、高木顯明さんが住職をしていた真宗大谷派の寺です。
 そして、追悼集会の翌日(12月3日)に、熊野市隣の御浜町の林松寺にある久保誓一さんの墓を訪れ、本宮町請川の墓地にある成石平四郎さん、成石勘三郎さんの墓と、「蛙聖兄弟成石平四郎之碑」を訪ねました。この墓地の近くに、成石兄弟の実家があったそうです。

 「李基允氏と相度氏が、朝鮮の故郷で生活できずに、日本に働きにこなければならなかったのも、異郷で殺されたのも、天皇制のもとにすすめられた日本の植民地支配とそこからつくりだされた朝鮮人差別が原因でした」(追悼碑碑文より)。
 
 李基允さんと相度さんが、虐殺されてから80年が過ぎたことしの追悼集会の場で、差別と侵略の思想的・社会的根源である天皇制とのたたかいの歴史的道すじなどが語られました。

                                         佐藤正人
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