2011年4月29日から6月19日まで山梨県立文学館で「春の企画展」として開催された 『文芸映画のたのしみ 谷崎潤一郎・泉鏡花・川端康成・三島由紀夫… 畑三郎コレクションより』 を最終日の最終回(というのもおかしいですが16時過ぎから閉館まで)訪問できました。
ザ ビッグ・アップルNo.45 とは久々の対面です。
右奥に2つ、小さな黄色の物が写っていますが、芝生の各所に多数あるので、それを避けてアップルが左寄せになりました。
見通しの効く芝生ですらこんなにあるということは、ゲージツの森公園の散歩道各所が汚染されていることも当然予想されるわけです。この芝生の問題に限らず、放射能測定もせずに「犬」がダイジョブと言う場所で子供たちを遊ばせるのはやめた方がよいです。
観光客の皆さんは驚かれたと思います。こんなところにもう二度と来ないなどとはお考えにならずに、どんな「犬」も飼い主次第ということをお考えになり、お帰りになられたら同じような「犬」が地元にもいないかどうかお考えいただくことは大切です、この原発震災、国難非常時においては。
「犬は入るべからず」、黄色いマークが規定数値に達した時には、そんな看板が公園の入口各所に立ち並ぶと思います。そうじゃなければ「飼い主」の再教育にはなりません、このシステム設計はそれを折り込み済みと思います。
館内に入ったとたんに「おぉっ!」と昭和レトロの青梅宿、久保板観さんの銀幕街道、映画看板の街と同じ世界にタイムスリップした私です。
この場所はフラッシュ無しで撮影は許可されていましたが館内は撮影禁止。私の思い出の中にとどめます。
いただいたチラシから、「シネマソサイエティーはた」 畑 三郎さんは八王子にお住まいのようなので青梅宿の昭和レトロについてもお詳しいような気がします。
私は「湯村の杜 竹中英太郎記念館」の館長日記で、2011.04.02 「畑三郎氏コレクション・・・・・・」からこの企画展を知りました。この記事には畑さんがコメントを寄せておられますので、とても貴重な日記になったと思います。
5月4日には「畑 三郎様ご来館・・・・・・」と、これもお写真を含めて書かれています。
その他、関連記事--
◇ 2010年8月1日~30日-畑三郎コレクション「市川雷蔵と中村錦之助 二人展」 東京都江東区のホームページで案内
◇ 2004年10月8日~24日-記憶を刻んだシネマの数々~畑三郎映画コレクション~ 金沢市金沢蓄音器館(公益財団法人金沢文化振興財団)
予想はしていたのですが、現物を拝見してやはり衝撃的でした。私が映画少年だった時はもっぱら洋画が中心で、邦画は、特に文芸映画は少なかったです。今日拝見した多数のポスターも名前を知っている映画(なかには見た記憶のあるもの)はありましたが、青少年時代に見た映画の記憶で鮮明なのがほとんど洋画だというのは、いま考えてみると育ち方を間違えたのかなとか思います。だから今の私があるのだとすれば全ては天のさだめでしょう。
4月初めからこの企画展の事や畑三郎さんのことを知りながら、とうとう最終日になってしまいました。今回は原発震災というより、「情報震災」のせいだと勝手に考えることにしています。
出かける前に、今日の記事は穏やかなアートのカテゴリーだと思っていたのですが、結局は「情報震災」の震源は「犬」の「飼い主」なのではないかという話になってしまいました。
会場にて来館の皆様へのお相手をつとめさせて頂きました。お目にかかれたか如何でしたか。四十五日間に三回・七日、会場へ足を運び、映画に対しての思い出を熱く語る皆様に、資料協力の私として今回は多くの映画ファンを知ることができ喜んでおります。できれば第二弾・第三回弾と開催できれば、高齢者の方々の「思い出は心のふるさと」として、昨今言われている回想法の一助と『福祉』の対応に活用を考えております。
私が会場に参りましたのは、ちょうど行き違いになった時間ですので、お話を伺えませんでした。
次のチャンスをお待ちしたいと思っております。
オープンなイベントを開催なさる時には、開催地が何処であろうと、
竹中英太郎記念館の館長さんにもお知らせになれば、きっと館長日記ブログにお書きになると思います。
益々のご健康とご活躍をお祈りいたします。
展示会を拝見した時、その背景に膨大な資料があることを拝察しました。
それらを良い状態で保存するには大変なご苦労がおありと存じます。
パソコンは習うより慣れろとよく言われます、ご無理なさらずにお過ごしください。
いつかお目にかかれる日を楽しみに。
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