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神社本庁 大祓について 【大祓 おおはらえ】
 大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。

 この行事は、記紀神話に見られる 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) の 禊祓(みそぎはらい) を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。

 年に二度おこなわれ、六月の大祓を 夏越(なごし)の祓 と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた = 人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた 茅の輪(ちのわ) を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。

 私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
 
山梨県神社庁 6月30日 (日曜日) 山梨県神社庁の「山梨の祭り」→「夏越の祓」です。
記事から「夏越の祓」を知り記録しました、11件です。【短文記事が多数ですが、長文も多いです。】

 南アルプス市 諏訪神社 例大祭禊祭 南アルプス市吉田793-1
 豊郷諏訪神社の御創建は古く 甲斐源氏小笠原家創始の小笠原信濃守源長清公の三男である伊奈三朗(小笠原源長綏)が伊奈(現在の伊那市の高遠)で生まれ育ちその当時の伊奈地方は諏訪の所領であったので郷里の吉田郷(吉田・十五所・沢登)の守り神として諏訪大明神を仰ぎ 当地の守護神として建久八年(西暦一一九八)に御祭神の二柱と御子神十三神を屋敷の続きに十五所大明神として祀った

 南アルプス市 八王子社 みそぎ祭 南アルプス市落合1092
 この地を宗持の里ともいへり。往時宗持神社と稱し徳川家より厚い崇敬を受けた。古歌に「御祓するみよしの川の末ながく猶ぞ栄えん宗持の里」といへるあり。宗持の社の西に吉野川あり、六月三十日みそぎあり。今この川を瀬喜野川とも、吉野川、みそぎ川とも云ふ。弘安四年胡元来冠の時、湯沢の西御前山に神霊を奉遷して大いに敵国降伏の祈願をなす。大永六年六月武田信虎公は古劔在銘濃州関住兼次作を奉納して戦勝祈願をされたといふ。

 【追録】【南アルプス市】八王子社(落合)
 創建は不明。社伝によると鎌倉期には弘安の役(2度目の元寇)の戦勝祈願を行ったとのこと。室町後期には武田信虎が刀剣を奉納しているようです。
 境内には随神門があり、本殿は小規模ながら丹塗りの華やかな造りとなっています。

 市川三郷町  弓削神社 夏越大祓 西八代郡市川三郷町市川大門6373
 勧請年月不詳なるも延喜式所載甲斐国二十座の内の一社なる故少なくも千三百年以前の創立である。日本後記に「延歴二十四年(七八二)十二月甲斐国巨摩郡弓削神社官社に列す靈験あるをもってなり」と記載しあり、此辺は古来八代巨摩両群の境界なりし為時勢の返還と共にその所属が異動せしものの如し。

 【追録】弓削神社の報道記事、多数有り
  酒折の宴を想像して笑っては不謹慎でしょうか
  山梨県神社庁報に弓削神社の記事が掲載されました

 忍野村内野  浅間神社 夏越大祓式(茅輪神事) 南都留郡忍野村内野1
  南北朝合の後応永年間一品兵部卿尹良親王は南朝の四皇を奉祀して四皇三社浅間大神と稱し奉る。人皇第一〇二代後花園天皇永享六年尹良親王の従兄與良親王の孫梅若王神主となる僅か三年にて永享八丙辰三月十五日薨ず。其の霊を産土神に祀る足利氏に憚り富士浅間神社と稱す。明治五年村社に列す。明治五年村社に列す。明治四十一年十二月十四日神饌幣帛供進指定。

 忍野村忍草  浅間神社 夏越大祓式(茅輪神事) 南都留郡忍野村忍草456
 人皇第五一代平城天皇大同二年創建され文治二年丙午年社殿再建される。建久四年源頼朝公富士裾野巻狩の時鳥居峠鬼坂迄御朱地として賜る。同八月六日鎌倉幕府武運長久祈願申付けられ和田小太郎義盛、畠山次郎重忠隨神門と金剛力士像(運慶作)を建立した。

 甲府市宝   穴切大神社 夏越大祓 甲府市宝2-8-1
 第四十三代元明天皇の御代、和銅年間の創建と伝へられる。その頃の甲斐の国中は大半湖水にて、時の国司巡見して湖水が引かば跡地は良き田にならうと、朝廷に奏聞して裁可を得、その上国造神に座します。大己貴命に祈願をこめて、多くの人夫を発して土を起し、鰍沢口を切り開き、富士川より南海に水を落すに成功した。為に湖水の大半が退き今日の如き良田数多を見るに至った。

 【追録】穴切大神社 多数の記事がありますので順にリンクしておきます・・・
  神社歴史  境内案内  年間行事  宮司紹介  縁切り祈願  ご祈願申し込み  こぼれ話  交通手段

 甲府市宮前町 八幡神社 みそぎ祭 甲府市宮前町6-47
  甲斐源氏の始祖新羅三郎義光より四代石和五郎武田信光、承久年中鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を石和の館に勧請し、武田家の氏神として国衙八幡宮(今、石和若宮八幡)と称へ尊崇し奉った。永正十六年武田信虎躑躅ヶ崎へ築城するに及び今の甲府市峯本の地に遷座(今、古八幡)され、さらに武田氏との深い関はりにより武田信玄の時国内の惣社、府中八幡として永禄三年神家五ヶ条の条目を賜はり、甲斐国九筋百六十四社の神主をして二日二夜ずつ二人交替に社詰参籠して国家安泰を祈願する番帳を賜る。

 甲府市東光寺 山八幡神社 みそぎ祭 甲府市東光寺1-1-32
  新羅三郎義光石清水八幡宮への崇敬の念厚く三男義清甲斐に住して後、甲斐源氏守護神として篠原岡に西山八幡宮を建立し尊び奉る。建暦年間八日市場の地に勧請され武田家の厚い信仰を受け社殿造営さる。浅野長政甲府城築城に際し現在の地に移し奉り築城守護の神社として崇敬さる。寛永年間八之宮良純親王により勅額の御奉納あり。以来西山を改め山八幡宮と申し奉る。昭和三年郷社に列格。

 甲府市太田町 稲積神社 夏越大祓 甲府市太田町10-2
  今から約二〇八〇年前上古時代、第十代崇神天皇の御代四道将軍武淳川別命東征の折、湖沼地帯であった甲府盆地に御入国あり、湖岸を切り開き湖水を富士川に落して涸燥して、田圃を造り蒼生愛撫、五穀豊穣祈願のため、丸山に奉斎したと伝へられる(丸山は今の舞鶴城址)。甲斐源氏の祖、一条次郎忠頼丸山に館するに当り、庄城稲荷と呼ばれ氏神として甲斐源氏一条忠頼一族の崇敬する所となってゐたが文禄年中浅野長政の築城に当り一蓮寺と共に現地に遷された。

 【追録】稲積神社公式ブログ  稲積神社の公式ホームページ

 甲州市塩山  菅田天神社 夏越祭 甲州市塩山上於曽1054
 任明天皇承和壬戍年十月国司藤原伊勢雄奉勅甲斐少目飯高演成に命じて勧請神田明神と称す。其の後一条天皇寛弘甲辰年二月二十五日勅に依り菅公を相殿に祀り是より菅田天神社と言ふ。新羅三朗義光甲斐守として任国以来武田家の守護神として代々崇あり。【中間の掲載を外した】
 亦慶長七年及正徳二辰年六月社殿造営の挙あり。朱印拾壱石八斗余を有し明治七年三月村社に、大正十三年三月郷社に、昭和三年十月県社に列せらる。昭和四十年三月不慮の災禍により社殿消失昭和四十四年十月復興す。

 【追録】菅田天神社 (かんだてんじんしゃ)
 菅田天神社は市の中心地である塩山の市街地に鎮座しています。
 創建は平安時代とされ、甲斐源氏から信仰されていたことから、武田氏の家宝である「楯無」の鎧が安置されています。社殿については昭和期の再建であり、建築的な見どころはほぼありません。

 身延町下山  一宮賀茂神社 大祓 南巨摩身延町下山2651
 天平勝宝年間(七五〇頃)、京都上賀茂神社より現宮司の始祖左近創立と伝へる。「東西河内領十七社の第一にして昔時葵祭には領内の神主悉く会集して神事を執行したりき」甲斐国志記載。武田氏より三貫五百文地を賜り徳川氏におよんで同領の朱印地を代々受けてゐた。本県の北限の榊の大群落があり天然記念物となってゐる。本殿北側には杉の根より榊が繁茂してをり、御神木として祀られてゐる。本殿南側には二股に分かれた樫の木があり、夫婦木(御神木)として親しまれてゐる。平成二十四年三月、京都上賀茂神社より改めて賀茂別雷大神を御分霊し、皇室系の祖神と賀茂系の祖神の二柱を祀る。

 【追録】一宮賀茂神社 (いちのみやかもじんじゃ)
 賀茂神社は、河内領(富士川沿)の社頭として、奈良時代(天平勝宝年間・西暦七五〇年)、京都上賀茂神社より御分霊され勧請されたと伝えられております。平安時代後期から戦国時代にかけては、武田氏並びに穴山氏の尊崇篤く、武田氏からは三貫五〇〇文地を授かり、江戸時代(徳川氏)におよんでは同領の朱印地を代々受けていました。明治六年郷社制定により列格しました。鎮守の森は榊(神が宿る木)の自然群生の北限として天然記念物の指定を受けています。

山梨県神社庁の掲載では無いですが 武田神社 追記しました
 甲府市古府中町 武田神社 夏越大祓式 甲府市古府中町2611
 6月30日には夏越大祓式が行われます。これは知らず知らずに犯した罪や穢を紙の人形(ひとがた)に託し、「茅(ち)の輪」をくぐり心身をお祓いする、我が国に2000年も前から伝わる行事です。武田神社では6月上旬から「茅の輪」を設けご参拝の方々におくぐり戴いております。
 


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