ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




子供の頃に沢山見た西部劇で、二度と見たくないと思った映画がある。カスター将軍率いる第七騎兵隊の全滅を描いた映画だった。指揮官が愚かだから騎兵隊が全滅したことを子供心にも理解したから、「黄色いリボン」などで騎兵隊が大好きだったボクはこんな映画はもう見たくないと思ったのだろう。

菅直人氏の言動を見ていて、とうとうカスター将軍を思い出してしまった。今はネットがあるのでしまい込んでいた不快な記憶を呼び覚ます・・・
リトルビッグホーンの戦い
ジョージ・アームストロング・カスター
カスター将軍

「今はカスターを悪党として描くのが流行だ。19世紀の白人アメリカ人がカスターを英雄とするのを流行とした様に」
「カスターについて誰か論じる時、中立的な意見は殆どなく、終わりの無い批判と擁護が繰り返される。カスターが知っていた事、知らなかった事、そして知りえなかった事について様々な議論が続けられている。」
歴史が判断すると言うのはこういう事だ。
日本国民は滅びる前に歴史に学ぼう。外国の実話なら太平洋戦争を語るよりは楽だろう。

既に出ている評価のひとつ・・・宮崎学オフィシャルサイト 2011-05-19 ロシアから見た福島原発事故
『事故の環境汚染・人的被害の大小について意見はロシアでも分かれている。ほとんどの専門家は福島は第2のチェルノブイリではないと考えている。福島では燃料の露出もなければ原子炉の爆発もない。
一方、福島の影響はチェルノブイリよりも大きいと主張する専門家たちもいる。チェルノブイリでは原子炉が爆発し黒鉛が燃えた。しかし、損壊した原子炉は1つだけだった。日本では3つの原子炉と4つの使用済み核燃料プールが損壊している。放射線放出はチェルノブイリの20倍だ。そしてこの放出は1ヶ月以上続いている。
福島事故の結果、国際社会は原子力発電について統一した安全基準を作る必要があるというのがロシア人専門家の一致した意見だ。』
 と締めくくられています。歴史に学ばなかった日本の原発推進の愚かさはこうして歴史に名を留める。数百年後かも知れないがその歴史を学ぶのは既に絶滅した大和民族以外の人々に違いない。
かろうじて世界各地で流浪の民となった大和民族の末裔は現代の我々を恨むしかないだろう。



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「八ッ場(やんば)あしたの会 - 八ッ場ダムを考える」を開いて2011年5月13日記事、八ッ場ダム建設で発電量減少に気が付きました。
朝日新聞群馬版 2011年05月11日 ダム湖貯水で水量減少 水力発電能力は低下 にリンクされていて、この内容に驚きます。
『八ツ場ダムは2008年の計画変更で、治水と利水が主だったダムの用途に発電が加わり、県企業局が発電所をつくることになった。流量の維持や洪水調整、利水の補給のために放流される際にのみ水を使う。』 これが何故問題になるのかは「八ッ場あしたの会」の記事に詳しいので省きます。
『「電力不足のいま、発電もできる八ツ場ダムの必要性は高まった」。ダム推進派からはそんな声が出る。』 と朝日新聞が書いていますが、私もこの問題を知らなければ、環境と電力をはかりにかけて八ッ場ダム反対の考えを切り替えていたかも知れません。

電力需給を担当する経済産業省も、この八ッ場ダム発電事業による下流域発電能力低下は知っていたはずです。しかし国土交通省にクレームを付ける必要はなかった、「どうぞおやりください、結構ですよ、こっちには原発推進があるから・・・・」だったでしょう。
しかし原発震災により状況は激変しました。電力需給に責任がある菅直人政権は八ッ場ダム発電事業計画についても適否の判断を下さねばならないでしょう。
発電事業は取り止めると決定するなら、八ッ場ダム本来の問題だけが残りますから、政治判断の実態は国民にも見えやすくなります。
お互いの縄張りは荒さないように権益を確保してきた官僚にはつらいでしょうが、この問題は国土交通省vs経済産業省の戦いということは明らかです。
石原慎太郎都知事、森田健作千葉県知事など、流域自治体で八ッ場ダム推進を唱える方々は、この電力問題についても既に知っておられるでしょう。それが国難を増大させた現在でも不足分は原発でカバーできるとの判断かどうか地元記者クラブで明言されるべきでしょう。



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