ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




追記-2008年12月19日に「山梨県におけるマイバッグ等の持参促進及びレジ袋削減に関する協定」平成20年11月の集計結果が県庁サイトに掲載されています。協定参加事業者が新たに8事業者10店舗追加、合計26事業者116店舗についての集計になっています。


甲府市ごみ袋有料化について書いたばかりですが、気が付いた事があるので続けて書きます、なにしろ師走ですから・・・(^o^)

2008年12月17日の毎日新聞山梨版がレジ袋有料化:1枚5円販売で利益 進まぬスーパーの収支公開を掲載していました。ノーレジ袋運動についてはゴミ処理・環境問題で整理しています。これまでに書いたブログ記事の索引とか毎日新聞が報じたマイバッグ等の持参率などのソース記事にもリンクしてあります。

私はノーレジ袋運動の事を最初に知った時に、レジ袋削減へのベクトルというブログ記事を書きました。「最初のステップで草の根から掘り起こそうとせずにスタートすると、社会プロジェクトは成功がおぼつかないのではないでしょうか。」と書いた気持ちは変わりありません。

毎日新聞が書くように、『県側が有料化による収益の使途について、何らかの統一した規定を設けようとしたところ、参加業者から異論が出て見送られた経緯がある。収支の公表についても県は「店舗ごとの来客数など、営業活動に踏み込んでしまうため、県がとりまとめるのは難しい」(環境創造課)との見解だ。』は上から降りてくる行政主導の運動にしばしばあてはまる事だと思います。行政が旗を振り計画し、形ばかりの意見募集をやってアリバイが作られて当初計画通りに実施されていく。フォローしようにも市民の中から実行部隊が形成されていなければ行政からは民事不介入みたいな情報しか出て来なくなる・・・
市民から盛り上がる運動なら対応がおかしいと市民が感じる企業は自然に淘汰されていくことになるでしょう。時間がかかってもそれが自由経済社会の姿だと思います。すくなくとも、私が次にプリンターを購入する時にキャノンを選択するか、私のテクニカルなホームページでキャノンのスキャナーやプリンター評価をどのように書くかは、今後のキャノン(経団連会長・御手洗冨士夫氏)の動向に無関係ではありません。それは企業が出す「地球にやさしい我が社・・・」というような広告を見ながらエコマークの付いた製品の方を選択しようと考えるのと似ています。
ちなみに山梨県サイトから2008年10月のノーレジ袋運動結果は以下の通りです。

第1回協定参加事業者18事業者106店舗の概要は次のとおりです。
 詳細は、添付ファイル「平成20年10月集計結果」をご覧ください。
 なお、参加店舗は6月の協定締結時は107店舗でしたが、その後の店舗の新設・閉鎖等により、10月の段階では106店舗となっています。
1 平成20年10月マイバッグ等の持参率
   協定参加者全体 85.2%
  ※マイバッグ等の持参率は、レジ袋辞退者数をもとに計算しています。
 
2 レジ袋辞退者全体の削減効果(推計)
  平成20年7月~10月分累計
  レジ袋辞退者     1,784万人
  レジ袋辞退枚数   2,476万枚
  レジ袋削減重量     288トン
  原油削減量        595KL(原油削減量200Lのドラム缶約2,976本分)
  二酸化炭素削減量 1,342トン(約258世帯の年間排出量分に相当) 

経済・経営的な分析にはうといですが、レジ袋の工場生産仕掛品や流通在庫も明確に減っていると思いますし、それこそが最終的な原油削減量に結びつくものだと思います。同じことがごみ袋有料化にも言えるはずで、日本全国同じごみ袋、必要なら自治体別にシールで区別することで、原油削減量もより大きくなるはずです。しかしこれを統制経済のようにやってしまったら別な弊害が出るでしょうが。市民から動きはじめた運動なら自治体を区別するシールも不要になるでしょう。
90万県民の28市町村がそれぞれに特化した製品で流通在庫、仕掛在庫を増やすだけの方法は「環境」目的にかなうものでしょうか。そもそもがゴミ処理で東京23区で出来る事が山梨県全県1区でできない理由はどこにあるのか、私のような素人にはわかりません。山梨県の環境問題・廃棄物というテーマは私が苦手のひとつです(^_^;)

ノーレジ袋運動、甲府市ごみ袋有料化計画、中心市街地活性化事業、などなど見ながら私は考えます、行政-審議会-パブコメ-法制化・・・で動かせるものと、それでは社会が変わらないものとの違いについて考えられるだけの基礎が私にいかに欠けているか、そういう事に無関心でパソコンやインターネットの技術的な事だけに集中して来た長い年月の意味。それじゃぁ今の自分に何が出来るかといえば、とりあえず貯えた自分の技能でWebページを書いていく事しかないのです。アメリカや日本の技術者から発信されるネット記事のお蔭でいくらかでも私の技術が進歩したように、私なりに整理して発信するイカガワシイ情報からでも何かを感じてリアルの現場で活かせるような方々がおられるかも知れないから・・・

今日、と言ってももう昨日12月18日ですが、竹中英太郎102歳のお誕生日でした。この館長日記に寄せられたコメントに『英太郎様は作品と共に生き続けていますよ!』とありました。これほど素晴らしいお祝いメッセージがあるでしょうか、私のネットの記事はサーバーが無くなれば終わりです・・・千の風になって・・・



コメント ( 0 ) | Trackback ( )