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7月6日は甲府空襲の日です。
今日、県立美術館でシュルレアリスム展を鑑賞してきたのですが、その折に県立文学館も覗いてポスターをデジカメしてきました。 第26回甲府空襲 戦争と平和・環境展
6日(金)と7日(土)は平和ミュージアムでもイベントがあります。ポスター掲載の「第26回甲府空襲 戦争と平和・環境展」はいつだったか県民情報プラザで開催していたような記憶がありますが、今年は風林火山博をやっていますので、開催されるなら別な会場で展示会があるのかも知れません。

甲府空襲に関してはホームページでまとめてみるつもりです。

昨年の山梨日日新聞に以下のような記事がありましたので、ここに残しておきます。

2006年07月05日(水)平和願い焼夷弾殻保管、甲府空襲の体験を次代へ 愛宕神社、4年前に屋根裏で発見
 1000人以上の尊い命が奪われた甲府空襲から6日で61年。甲府市愛宕町の愛宕神社では当時投下された焼夷弾殻を大事に保管している。弾殻は屋根裏の梁付近で見つかり、空襲当時、自宅兼社務所にいた小林さんは「投下された2発が家の中で燃えたら、全焼していただろう」という。1発が落ちた先の梁が“守り神”になったことを強調しながら、あらためて平和の尊さをかみしめていた。
 小林さんと、長男で同神社の小山利行宮司によると、焼夷弾殻(直径7.2センチ、長さ50センチ、重さ1.5キロ)は六角形の筒状で、英数字の番号が薄く残っている。4年前、自宅兼社務所を改修したところ屋根裏にある直径約40センチの梁近くで見つかった。「梁に直撃した」(小林さん)ため、先端は曲がった格好だった。
 空襲当時、女学生だった小林さんは、米軍の長距離爆撃機B29による空爆で自宅が炎上したことを今でも忘れない。「焼夷弾二発を落とされ、奥座敷と玄関先が燃え上がった。三百年以上の歴史がある自宅を守るため、消火に必死だった」
 空襲後、自宅から焼夷弾は確認されなかったが、「ずっと気に掛けていた」という小林さん。長い歳月が経過し、惨事の風化を危ぐする指摘が聞かれる中、「戦禍を忘れないためにも大切に保管したい」と、次代への継承を誓っていた。



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