20 故郷へ帰りたい!
「私(ヒコ)は、嘉永三年(1850)、13歳の折に故郷の本庄村をはなれて、初めて船に乗り、破船漂流して救出され、それから18年、故郷を見たことはないのです」
ヒコの言葉に、伊藤(博文)は、神妙な表情をしてうなずくのでした。
船で故郷へ行けばいい
「それはたやすいことだ。政府用にオーファン号という小型の蒸気船を購入したが、それに乗って故郷の村へ行けばいい。
外国人が陸路を行くのには制限があるが、海上を移動するのは自由だ。
明日、私は、「オーファン号」で兵庫へもどる予定なので、兵庫まで同行し、それからその船で故郷へ行けばよい。そのくらいの便宜ははかる」
ヒコは、不意に胸に熱いものが突き上げるのを感じました。
異国の地にあって絶えず帰国を夢みていたが、それは故郷にもどりたい願望でした。
ヒコは、酔いが体に快くまわるのを感じました。
伊藤に会い、川遊びをしたことが幸運に思えるのでした。
21 いざ、故郷へ
伊藤(博文)から使いの者が来て、「午後三時に淀川の船着場に来て欲しい」と告げました。
ヒコは、定刻に船着場に行きました。船が、下流にむかって動いてゆきます。
「ヒコは、伊藤(博文)につづいて「オーファン号」に乗り移りました。
船はすぐに黒煙をなびかせて進みはじめました。
船が停止しました。船長がやってきて機関が故障したというのです。すでに夕闇は濃く、やむなく船中で夜を過すことになりました。
彦蔵は、甲板に出て月を見上げました。夢にえがいていた故郷にむかっていることを思うと、胸は喜びに満ちていました。
翌朝、迎えに来た小艇に乗りかえ、神戸の波止場に上陸した。ヒコは、伊藤について兵庫県庁に行きました。
故郷・本庄村へは陸路で
「オーファン号」の機関が故障したので、本庄村には陸路をたどらねばならなくなりました。
伊藤は、吏員に指示して手続きを進めてくれました。外国人である彦蔵が許された地域外を旅するには通行免状が必要で、伊藤はその作成を指示しました。
また、外国人の命をつけねらう者がいることも十分に予想されるので、武装した役人を警備のため同行させるよう命じてくれたのです。
22 もうすぐ故郷
翌日、 伊藤(博文)知事の部屋におもむくと、伊藤は、ヒコには、故郷の村役人に彦蔵の帰郷を伝え、歓迎するように指示してある、とも言いました。「ソレデハ快適ナ旅行ヲ・・・」
県庁の外に出ると、駕籠が並び、ライフル銃を手にした役人たちが待っていました。
一同、身を入れると駕籠がかつぎ上げられ、前後左右に役人がついて動きはじめました。
熱い陽光が降りそそいでいました。
前方に、明石の家並がみえてきました。一行さらに西へ進みました。
土山村に入り、そこで街道をはずれて左への道を進みました。
故郷の本庄村浜田に通じる道で、ヒコは胸をときめかせました。
これが、夢に見た故郷
浜田に近づくと、前方の道の片側に多くの人が立っているのが見えました。迎えに出ている村人たちにちがいなく、駕籠の列はその前でとまりました。
彦蔵に、「出迎えの村の者です」と、告げました。
駕籠が村の人口に近づくと、正装した数人の男が立っているのが見え、役人が近づき、すぐにもどってくると、「出迎えの庄屋たちだ」と言いました。
駕籠の列は、かれらの案内で村の中に入り、門がまえの庄屋の家の前でとまりました。(no4572)
*挿絵:ヒコの出迎え(『ジョセフ・ヒコと様式帆船の男たち』より)