水の流れ
印南野台地は、大まかに言えば、雌岡山辺りを頂点にし、西にそして南に低い地形をつくっています。
これは、六甲山の変動(六甲変動)に伴う現象です。
この地形のため、雌岡山辺りに水があれば、水は印南野台地を自然に流れ下り、池に水をため台地を潤しました。
しかし、挿絵をご覧ください。
国岡あたりついてみて見ましょう。
印南野台地を流れ下った水は、愛宕山辺りの山塊に妨げられ、水は北へ、そして南へと分かれて流れました。
国岡(新村)は、この愛宕山を中心とする山塊の西部に広がっています。
そのため、国岡(新村)は水を得るためには、いったん「入が池」に集まった水を千波池に流し、利用しなければなりません。
入が池は、北山村所有の池のため解決しなければならない問題がたくさんありました。このことは、以前に紹介したとおりです。
残された開発
それでも、千波池より高い場所には水が流れてくれません。
国岡新村は、寛文年(1662)に誕生しましたが、愛宕山あたりの高いところは手つかずのままでした。
その後も、愛宕山から現在の町役場あたりには、あまり開発の手が入っていません。森林のままで残されました。
この辺りに開発が進み、風景が一変するのは最近のことです。