真言律宗の足跡(1)・石造物にみる(1)
西大寺は、創建されたのは奈良時代ですが、当初は、興福寺や薬師寺を越える壮麗な寺院でした。
しかし、称徳天皇が亡くなり、道鏡が東国へ左遷されると、西大寺に対する関心はうすれ、平安時代には衰退の一途をたどりました。
鎌倉時代には、所有していたすべての荘園を失いました。これを再生したのが叡尊(1201-1290)です。
叡尊は、当時の戒律を守らない、特に浄土系の僧侶・人々(庶民)のあり方に疑問をもちました。
西大寺に住み、深く戒律を学びました。
西大寺に住んで10年が過ぎたころ、叡尊は仲間とともに誓いを立てました。
お釈迦さまの弟子として、生まれ変わっても、浄土へは行かず、かつてお釈迦さまがしたように、諸仏の救いからもれた人々を救いたい。
そのためには、地獄の苦しみも忍ぼうと叡尊は述べています。
真言律宗男寺院の活動は、多方面に及びました。
第一は「戒律を守る」ことにあることは当然です。
その他、貧民・人非・らい患者の救済にも取り組みました。
また、幅広い技術集団を抱え、道路・橋・泊・港の整備などを行いました。つまり、当時のインフラ整備のエキスパート集団を抱えて活動しました。
中でも西大寺系の石工集団は「伊派」とよばれ、優れた石造太を多く残しています。
特に加古川近辺では数々の伊派の石造物が残されています。
それでは、西大寺系の技術集団の足跡をたどることにしましょう。
ここでも文観の影を垣間見ることができます。(no3410)
*写真:叡尊(西大寺蔵)
◇きのうの散歩(.12.037歩)
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