「(シリーズ)志方町を歩く」の前に、稲美町をずいぶん歩きました。
稲美町は、かつて「庚申信仰」が、さかんな地域で、どの集落でも庚申像にであいました。
庚申信仰では、ほとんどの場合「青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)」を庚申さんとして祀ったようです。
でも、ほとんどが石に「青面金剛」と文字が刻まれている庚申像ばかりでした。
青いお姿の庚申金剛と対面したことはありませんでした。
『陀羅尼集経第九』には、「・・・(青面金剛は)その身は、青色にして大張口、狗牙は上出す。目の赤きこと血の如くして三眼あり・・・」とあります。
先日、安楽寺(志方町細工所)の庚申堂で、青い(緑)の庚申さん(写真)とお会いすることができました。
加古川市・稲美町では初めて対面した青い(緑の)正面金剛像でした。
庚申信仰
青面金剛像を、人々は「コウシンサン・・・」と親しみをこめて、そう呼んでいます。
江戸時代、ずいぶん盛んであった庚申信仰(こうしんしんこう)も現在では、すっかりその姿を消したようです。
庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことで、特に、江戸時代に盛んでした。
コウシンさんは、庚申の夜(六十日に一回)、人体に住むというサンシチュウという虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くといいます。
そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像を拝んだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事でした。
コウシンサンの夜
いつしか、この行事は人々が集まって、一晩中酒を酌み交わし、演芸を楽しむと言う行事に変っていきました。
東志方でも、庚申の夜のざわめきがあったようです。
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