現在(2009年)加古川市の中学生がつかっている歴史教科書(大阪書籍)には、地租改正について、次のように説明しています。
・・・(明治新政府は)収入を安定させ、財政の基礎を固めることは、緊急の課題でした。
そこで政府は、まず国民の土地を所有する権利をみとめて、田畑の売買を自由にしました。
次いで、1873(明治6)年から、全国の土地の面積やよしやすを調べ、土地の値段である地価を定めました。
・・・
地価の3%にあたる額を地租として、貨幣で納めさせることにしました。
・・・これを地租改正といいます。
この結果、政府の収入は安定し、財政の基礎が固められました。
しかし、地租の総額は、江戸時代の年貢の総量と同様になるように計画されており、全体として農民の負担は軽くなりませんでした。
以上が教科書からの引用です。
地租は、江戸時代より、むしろ重くなり各地で「地租改正」反対に対する激しい運動が起こりました。
これにおされた政府は1877(明治10)年、地租を地価の2.5%に切り下げました。
今福村の地租
今福村の土地は47町6反2歩で地価になおすと45104円8銭8厘、地租では1127円60銭7厘です。
この他に無税地、2反7畝29歩が認められていました。
(史料:明治14年1月調べ)
今福村 戸数 65戸
人口 288人
一 田 40町2反3畝29歩
地価 42454円48銭4厘
地租 1061円36銭3厘
一 畑 2町8畝5歩
地価 1921円22銭2厘
地租 25円53銭1厘
一宅地 2町2反7畝28歩
地価 1628円38銭2厘
地租 40円71銭8厘
合計 反別 47町6反2歩
地価 45104円 8銭8厘
地租 1127円60銭7厘
外に無税地反別2反7畝29歩
この記録は、『播磨地種便覧』(明治15年12月発行)からの数字です。
明治14年1月の今福村の戸数は65戸、人口280人です。
当時の風景が想像できそうです。
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