ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

尾上町今福探訪(32):今福村の地租

2009-10-21 09:01:36 |  ・加古川市尾上町

 現在(2009年)加古川の中学生がつかっている歴史教科書(大阪書籍)には、地租改正について、次のように説明しています。

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  地租改正

・・・(明治新政府は)収入を安定させ、財政の基礎を固めることは、緊急の課題でした。

そこで政府は、まず国民の土地を所有する権利をみとめて、田畑の売買を自由にしました。

次いで、1873(明治6)年から、全国の土地の面積やよしやすを調べ、土地の値段である地価を定めました。

・・・

地価の3%にあたる額を地租として、貨幣で納めさせることにしました。

・・・これを地租改正といいます。

この結果、政府の収入は安定し、財政の基礎が固められました。

しかし、地租の総額は、江戸時代の年貢の総量と同様になるように計画されており、全体として農民の負担は軽くなりませんでした。

以上が教科書からの引用です。

地租は、江戸時代より、むしろ重くなり各地で「地租改正」反対に対する激しい運動が起こりました。

これにおされた政府は1877(明治10)年、地租を地価の2.5%に切り下げました。

   

  今福村の地租

今福村の土地は476反2歩で地価になおすと45104円8銭8厘、地租では1127円60銭7厘です。

この他に無税地、2反7畝29歩が認められていました。

(史料:明治14年1月調べ)

今福村           戸数  65戸

              人口 288人

一 田 40町2反3畝29歩   

        地価 42454円48銭4厘

        地租  1061円36銭3厘

一 畑 2町8畝5歩  

        地価  1921円22銭2厘

        地租    25円53銭1厘

一宅地 2町2反7畝28歩

        地価  1628円38銭2厘

        地租    40円71銭8厘

 合計 反別 47町6反2歩

        地価 45104円 8銭8厘

        地租  1127円60銭7厘

  外に無税地反別2反7畝29歩

この記録は、『播磨地種便覧』(明治15年12月発行)からの数字です。

明治14年1月の今福村の戸数は65戸、人口280人です。

当時の風景が想像できそうです。

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