ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

集団疎開(15):疎開先訪問

2013-03-25 10:04:17 |  ・加古川の戦争

昭和19年の夏、都会の小学生を空襲から守るため、先生と共に田舎へ集団疎開が実施されました。

志方へは三つの国民学校(西志方・志方・東志方小学校)に分かれて、神戸国民学校の生徒の疎開が実施されました。

   疎開先訪問

7acc438c1994年(平成6)は、集団疎開50周年にあたり、神戸国民学校の疎開生が疎開先への訪問を実施されました。

1994年(平成61023日、参加された疎開生は約百名で、当時の疎開地(姫路・高砂・志方)を訪問され、当時の苦しかったことと懐かしさを思い出されています。

そして、住職に感謝状等を贈られました。

その日のようすは、新聞にも大きく報道されました。

なお、シリーズ「集団疎開」疎開では、作文等が無かったため紹介できませんでしたが、神戸国民学校(現:神戸諏訪山小学校に統合)の生徒は観音寺(志方町)・妙正寺(横大路)の外、細工所の安楽寺と高畑の円福寺へも疎開されています。

集団疎開については、まだ全部紹介できていませんが、ここで報告を終了させていただきます。

安楽寺・円福寺の疎開のようすは、分かりましたら後日、改めて報告させていただきます。

*写真:疎開先を訪問された方々の記念写真(妙正寺にて)

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