日岡山山頂の古墳:御陵(1)
・・・大和(奈良)豪族にとって播磨地方は、畿外への防衛の最前線でした。
加古川地方は4世紀ごろには奈良の勢力圏に入っており、大和地方にとっても、加古川地方は重要な地域でした。
そのため、大和と東播磨地方の間には、さまざまな交流があったと想像されます。
このような状況が。日岡山のヤマトタケル伝承を誕生させたと考えられます。
伝承によれば、ヤマトタケルは、加古川市に生まれ、母は、播磨の豪族の娘:稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)です。
*『播磨風土記』では、稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)は、印南別嬢(いなびのわきいらつめ)として登場します。
母は、稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)
最近は、『古事記』・『日本書紀』のクライマックスに登場する英雄ヤマトタケルといっても、 ピンとこない人(世代)が多くなりました。
『古代史の謎に挑む(一)』(NHK出版)は、ヤマトタケルを、次のように説明しています。
・・・その昔、日本に一人の英雄が登場した。それはいまからおよそ1600年前、日本の歴史の中でもっとも多くの謎につつまれている四世紀ここと言われている。
その英雄こそ大和朝廷の日本統一に大きな役割をはたしたと伝えられているヤマトタケルである。・・・
彼は、播磨、現在の兵庫県加古川市付近に生まれたと伝えられている。第十二代 景行天皇(けいこうてんのう)を父として、母はこの地方出身の稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)であった。
ヤマトタケルは双子の弟であり、幼名を小碓命(おうすのみこと)と名のった・・・・
もちろん、ヤマトタケルの物語は事実を語ったものではありません。しかし伝承であれ、加古川から日本統一にかかわった英雄が登場しているのは愉快なことです。(no3791)
*写真:稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)の御陵
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