『志方町誌』は法華山谷川の流路変更に慎重ながら川筋の変更を認めておられるようです。
それを確かめたいために、きのう東志方行常(ゆきつね)から志方町の八幡神社の東の大池まで法華山谷川の堤を歩いてみました。
やはり、法華山谷川の左岸(細工所)の方向が若干低くなっています。
流れは不自然です。
法華山谷川は大池(志方村)へ
そして、志方村の水瓶に
もうひとつ考えさせられることがありました。
大藤山から東の天神山の方向へ山塊が伸びています。
その山塊は志方八幡神社のある宮山を超えると、いったん落ち込み、高畑の山へと続いています。
二つの山塊の間に小さい谷を造っています。
その谷の南側に堤防を築いて出来あがったのが大池です。
法華山谷川は、東志方行常あたりから大きく南へ向きを変え、大池に流れ込んでいます。
大池は水の少ない志方町の主な田畑の水源となっています。
前号まで「法華山谷川の流路変更」について、畑から細工所・高畑にかけての東志方の水田の拡大のように書いてきましたが、現地を歩いてみると、むしろ志方村の水瓶を造るために、強引に流路変更が行われたのではないか思えてきました。
これも想像なのですが、もともと大池のある場所は水が自然に流れ込むような低い場所であったとは考えられません。
山と山のむしろ若干高い地形であったのでしょう。
為政者はここを削り、池を造り、法華山谷川の水をこの池にためて、水の少ない志方村の水瓶にし、志方村の田を美田にかえ年貢の増収を目指したと考えるのです。
七つ池
法華山谷川の流路変更は、東志方地区だけの問題でなく、志方村を含めたスケールの大きな重要な課題であったようです。
だからこそ、水を奪われる地域の水を保証する「七つ池の築造」も同時並行で進めたと考えています。
想像だけの歴史?
このブログも今日で1588号となりました。
が、今回のように史料もなく強引に推測だけで書いたのは初めてです。
間違いだらけかもしれません。
この続きを一緒に調べてみませんか?
*写真上:法華山谷川(大池の)手前
写真下:志方大池(現在水はなかった)
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