困窮する村
幕府は「年貢さえすませば、百姓ほどけっこうなものはない」(慶安のお触書)といっていますが、百姓にとって、この年貢を無事に済ませることこそが大変なことだったのです。
江戸時代は、田畑の売買は原則として禁止されていましたが、実際は年貢が払えないために公然と売買されていました。
野際新村の治衛門は年貢を払えなくなり、田畑を銀750匁で売り渡した件や、同じ野際新村の百姓が年貢の支払いのために家屋敷所道具を銀51匁で売ったことを『稲美町史』は、紹介しています。
庄蔵出奔す
さらに、文政5年(1822)印南新村の庄蔵は、生活苦のため夜逃げをしたようです。
そのため、残された家屋敷等は入札で処分されました。
その処分された23点の品々の記録があります。
・畑2畝歩 ・建家1軒 ・灰置部屋1ヶ所 ・古やくら1つ
・あんと1つ ・針箱1つ ・くらかけ1つ ・古箱5つ
・重箱4つ ・小すり鉢1つ ・みそこし2つ ・小かめ1つ
・くまで1丁 ・小石うす4つ ・小まさらえ1丁 ・はさご2丁
・古むしろ16枚 ゑんぼう1丁 ・からさお1丁 ・小ふいご1荷
・がんじき1丁 ・茶碗2つ ・小わん2丁
生活苦のための夜逃げであったとしても、わびしい品々です。
そのほか、年貢米支払いのため、給銀は前金で他領へ奉公に出かけた多くの例を町史は紹介しています。
このような例は、稲美地域の村々だけに限ったことではないのですが、稲美地域は特に困窮した村々が多かったようです。
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