秀吉・信長に攻められた神吉城跡は、現在の常楽寺です。
常楽寺(東神吉町)に残る「女人来迎」を余話として紹介しておきましょう。
当時(鎌倉・室町時代)、 女人は、男子より穢れており、「変成男子(へんじょうなんし)」という考えが一般的でした。
女性は、成仏でるが、そのままでは無理で、いったん男性に変身して姿かたちが男性にかわり、その後極楽への往生が可能とされていたのです。
阿弥陀三尊来迎図
(女人来迎図)
日本仏教説話では、死後初七日(しょなぬか)からはじまって33回忌まで、さまざまな冥界(めいかい)の王や仏に出会うといいます。
まず、死ねば閥魔王(えんまおう)の裁きを受けるとされました。あの世があるならば「地獄」より「極楽」を願うのが人情です。
女性の往生を描く
東神吉町にある常楽寺(浄土宗の寺)に、嫌倉時代末期から南北朝時代にかけてと推定される「女人往生図(にょにんおうじょうず)」(写真)が発見されました。
右手下の建物に、いままさに死なんとする女人が手をあわせています。
左上に阿弥陀仏、下に魂を入れる入れもの(うてな)を持った観音菩薩と勢至(せいしぼさつ)が迎えにきているところです。
蓮如の師・親鸞、さらにその師・法然は女性の地位を認めています。が、絵画に描かれた例はほかにありません。
発見された当時、朝日新聞一面トップにカラーで掲載されました。
女人往生図が女性のまま往生できることを描いた絵画の発見は、日本でこの一例だけです。
その意味で、 常楽寺の「女人往生図」は、日本の思想史においても一大発見となっています。もっと広く紹介されるべき作品です。(no4915)
*図:阿弥陀三尊来迎図(兵庫県指定文化財)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます