ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(450):相野飛行場②・飛行場滑走路

2011-04-01 16:01:56 |  ・相野飛行場

Ebbb9481 昭和192月初めのころ、相野の地主は突如陸軍から集められ、その時初めて飛行場建設の話を耳にしました。

そして、1ヵ月以内に立ち退くよう、命令が出されました。

相手は「なく子も黙る陸軍」です。

命令は絶対的で、土地の買収も強制的に行われました。

母里村・別所村(三木市)、あわわせて30戸、寺1、ため池7、それに多くの田畑・山林で、面積にすると19953歩(約197ヘクタール)でした。

それが、445818円で買い上げられました。

212日に山林伐採から飛行場建設が始まりました。

    相野飛行場滑走路

もう一度、地図で相野飛行場の場所を確認ください。

(地図は、ダブルクリックすると拡大します)

地図は国土地理院の50.000分の1の地図(平成9年)です。

天満大池が目印になり、だいたいの場所はお分かりになると思います。

その地図上に「旧飛行場」の文字を見つけてください。

010_2そして、赤く塗りつぶした部分をご覧ください。

この部分は、「中央池」を挟んで、左上から南東に短冊のように伸びた地形です。

一目でわかると思いますが、ここは、かつての飛行場の滑走路に当たる部分です。

中央池の北の道を歩いてみました。

他の台地上の田畑とは異なり、バリアフリー状とはいかないまでも起伏がすくないのです。

まさしく、ここに飛行場の滑走路があったことがわかります。

写真は、中央池の土手から北西方向の風景を撮った写真です。

なお、中央池の北側の道の一部は、現在稲美町と三木市の境界ともなっています。

中央池は、三木市に属しています。

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