ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(18) 竜ヶ鼻(たつがはな)

2016-11-16 07:32:59 | 石の宝殿と生石神社の...

   竜ヶ鼻(たつがはな)

  「竜ヶ鼻」は、明姫幹線が法華山谷川を渡った交差点(竜山大橋西詰)を南に折れたすぐの法華山谷川の右岸(西岸)にあります。

 「竜山(たつやま)」の名前の由来となった岩です。

 お訪ねください。

 竜ヶ鼻の横に以下のような説明があるので読んでおきます。

    高砂市ふるさと文化財

      竜ヶ鼻

         昭和24年登録

 岩が、波の浸によって削られ、形が竜(りゅう)の頭部に似ているため、名づけられた。

 竜山(たつやま)の山名の由来となった岩である。

 明姫幹線道路建設工事のため、昭和51年に切り取られ、現在の地へ移設された。

                      (平成25年3月健康文化部)

 もとは、法華山谷川と中島の北側の川(洗北川)が合流する川の中で、その鼻先(岩)を出したり隠したりしたりしていたといいます。

 目立った、人気のある岩だったのでしょう。

 しかし、その後河川改修で傷つき、さらに、明姫幹線の工事により、現在の場所に移され、へんてつのない岩となっています。

 でも、「竜山」の呼称のもとになった岩です。大切にしたいものです。(no3395)

  〈お知らせ〉

  http://hirokazu.webcrow.jp/kurakumatsuemon_blog.pdf

   上記のURLをクリックすると「工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛」が通しでお読みいただけます。

 

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