ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(91):シャングリ・ラ、雑郷(ぞうごう)

2011-08-27 08:09:37 |  ・加古川市東志方

法華口から永室まで、お地蔵さんを訪ねて歩きましたが、話題を変えます。

お地蔵さんを訪ねて法華川谷川沿いを散策していると、200711月に雑郷(ぞうごう)を訪ねたことがなつかしく、久しぶりで雑郷へ寄ってみました。

再度、「雑郷」を取り上げます。

雑郷(ぞうごう)

  *20071124日の再掲です。(少し変えています)

013雑郷(ぞうごう)に来ています。

志方町出身でない方には、あまり馴染みのない地名だと思います。

地図で確かめて出かけたのですが、近くに来ていたのでしたが分かりません。

それらしい道を行ったのですが、対向車があったら「万事休す」の道です。

地図にある池(雑郷池)がみつかりました。

さらに木立をぬけると、小さな平地と数件の家が現れました。

どうやら雑郷(写真)に着いたようです。

雑郷は、収穫を終えているが棚田に囲まれた谷あいの村です。

周囲が山のせいか風がありません。近くを走る山陽自動車道の騒音もここまで聞こえてきません。

ここは、まさにシャングリ・ラ(ShangriLa)のような集落です。

 *シャングリ・ラ…桃源郷

農家の庭先に無断駐車をして写真を撮っていたら、お爺さんが出てこられ、しばらく話をしました。

雑郷は、「二軒が入船姓、一軒が大城戸姓の三軒だけで、いまは小学生も中学生もいない」とのことでした。

つまり、三軒の加古川市志方町東志方雑郷です。

雑郷について『志方町誌』は「・・・明治14年の調査によると、10戸・人口54人で、おそらくこの頃が一番栄えた時代であろう・・・」と書かれています。

 以上が2007年のブログの記事です。

 お聞きすると現在、あれから雑郷は一軒が減り、現在二軒の集落となったそうです。

*写真:現在の雑郷(824日撮影)

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