ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

3つの益気神社

2006-08-06 06:16:11 |  ・加古川市東神吉町

_119   事件は、文禄3年(1594)年、平ノ荘神社16ヵ村の代表者の参詣の時におきた。

*(16ヵ村:益気郷3ヵ村、平ノ荘13ヵ村)

  益気・・・平の面々、益気の中にも御歴々(おれきれき)がいるのだが、毎年益田の者は下座に座っている、座を改めて我々を上座にすればどうか。

  平ノ荘・・・御歴々であることは承知しているが、益気の人の中には、殺生を仕事とする者がいる。・・・穢わしい。(益田の者に川漁の権利が認められていることを指す=秀吉の免状)

  売り言葉に買い言葉、日ごろの不満が燃え上がった。その勢いは、すさまじいものであった。

  この時、近郷からこの喧嘩を見ようと数万の人が押しかけたと言う。

  この事件のあと、慶長4年(1599)益気郷は益田山(加古川市東神吉町)に益気神社(ますけじんじゃ)を建てた。

  その後、池尻村も平ノ荘の氏子から抜け池尻村に、益田新村(出河原村)も益気神社が創建され、3つの益気神社が誕生した。

  益気神社という名称から、奈良時代の創建を想像してしまうが、平ノ荘神社から分かれた比較的新しい神社である。

*写真は出河原(加古川市東神吉町)の益気神社

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