高砂神社北門前の道標
写真は、高砂神社北門前の道標です。読んでみます。
左 いしの宝でん 楚禰能末門(そねのまつ)
を乃へ能加年(おのえのかね) あかし
当社 相生の松
高砂神社から西に向かえば、石の宝殿や曽根の松、東へ向かえば、尾上の鐘や明石への旧浜街道に繋がっています。
また、この場所(高砂神社)が相生の松のある場所であると大きく書かれています。
高砂神社北門前の道標だけでなく、北の「西国街道」沿にもたくさんの道標が残されています。
それらのほとんどの道標には「石の宝殿」の文字が刻まれています。
「石の宝殿」への案内です。
松巡りと「石の宝殿」参拝
江戸時代は、戦争のない平和な時代となりました。それに生産も増え、生活に余裕ができた人もたくさん生まれました。
旅を楽しむ人々もふえてきました。その一つが、松と海の景色を楽しむ旅でした。
特に、高砂から今の播磨町にかけての海岸は、美しい松の景色が広がっており、加えて、謡曲「高砂」でこのあたりは旅人の人気の観光コースでした。
この松巡りと「石の宝殿」見学はセットになっていたようです。
今は、そんな白砂清松の場所は工場に代わり、海はコンクリートに固められ私たちを拒絶しているようになってしまいました。
旅のスタイルもすっかり変わりました。それに伴って、石の宝殿へ立ち寄る人もめっきり少なくなってしまいました。
「石の宝殿」は、謎を秘めた素晴らしい歴史的遺産(レガシー)です。何とかしたいですね。(no3408)
*写真:石の宝殿を案内する道標(高砂神社北門前)
〈お知らせ〉
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