ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(30) 松巡りと「石の宝殿」参拝

2016-11-29 08:04:11 | 石の宝殿と生石神社の...

    高砂神社北門前の道標

 写真は、高砂神社北門前の道標です。読んでみます。

   左 いしの宝でん 楚禰能末門(そねのまつ)

     を乃へ能加年(おのえのかね) あかし

   当社 相生の松

 高砂神社から西に向かえば、石の宝殿や曽根の松、東へ向かえば、尾上の鐘や明石への旧浜街道に繋がっています。

 また、この場所(高砂神社)が相生の松のある場所であると大きく書かれています。

 高砂神社北門前の道標だけでなく、北の「西国街道」沿にもたくさんの道標が残されています。

 それらのほとんどの道標には「石の宝殿」の文字が刻まれています。

 「石の宝殿」への案内です。

    松巡りと「石の宝殿」参拝

 江戸時代は、戦争のない平和な時代となりました。それに生産も増え、生活に余裕ができた人もたくさん生まれました。

 旅を楽しむ人々もふえてきました。その一つが、松と海の景色を楽しむ旅でした。

 特に、高砂から今の播磨町にかけての海岸は、美しい松の景色が広がっており、加えて、謡曲「高砂」でこのあたりは旅人の人気の観光コースでした。

 この松巡りと「石の宝殿」見学はセットになっていたようです。

 今は、そんな白砂清松の場所は工場に代わり、海はコンクリートに固められ私たちを拒絶しているようになってしまいました。

 旅のスタイルもすっかり変わりました。それに伴って、石の宝殿へ立ち寄る人もめっきり少なくなってしまいました。

 「石の宝殿」は、謎を秘めた素晴らしい歴史的遺産(レガシー)です。何とかしたいですね。(no3408)

 *写真:石の宝殿を案内する道標(高砂神社北門前)

  〈お知らせ〉

  http://hirokazu.webcrow.jp/kurakumatsuemon_blog.pdf

  上記のURLをクリックすると「工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛」が通しでお読みいただけます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石の宝殿と生石神社の話(2... | トップ | 石の宝殿と生石神社の話(3... »

コメントを投稿