加古川バイパスの南、「乾角」のすぐ近くに、小さな森がある。そこに善良庵(ぜんりょうあん)があった。
善良庵について『加古郡史』は次のように書いている。
曹洞宗 善良庵 本尊十一面観音仏
加古郡平岡村の内高畑村
明室玄珠尼、寛永五年(1625)本庄村(播磨町に)に当庵を開創す。後、宝暦二年(1752)これを本村(西谷村)に移し・・・
善良庵については、野口町北野の岸本為次氏(故人)の研究もある。内容の一部を見ておきたい。
「・・・寺家町組西谷村の加古源右衛門秀信は、粟津(加古川市加古川町)在であったが、西谷村に分家して酒造業を始めた。加古家は信心深く源右衛門秀信は善良庵を建立した・・・」
若干、『加古郡史』と食い違いがあるが、西谷へ善良庵を移動し建立したのは加古源右衛門らしい。
今は朽ち果てて善良庵はないが、善良庵跡には源右衛門を記念する碑が立建てられている。
この碑は源右衛門の後を継いだ秀麻の25回忌に、その子の源兵衛が功績を碑文にして後世に残したものである。
なお、加古家の子孫は、明治のはじめ木下家に籍を移し、木下姓と改め今日にいたっている。そのため、当時を偲ぶ大厨子・仏像・位牌などは西谷の木下家に移され供養されている。
*お詫び:今日のブログで「村方困窮」についてとりあげたが、この記事は11月14のブログで、すでに紹介している。そのため「善良庵」ついて急遽とりあげた。
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