飴(地租の見直し)
新祖額に対する不満は他の地域でもおきていました。
かたくなな態度をとっていた政府も、一部の祖額の修正に応じざるを得ませんでした。
14年にずれこんだ地価の修正作業でしたが、全国の15ヶ村で祖額の修正が行われることになりました。
15ヶ所のうち6ヶ所が兵庫県で、川辺郡の一ヶ村と蛸草新村を除く印南5ヵ村が対象となりました。
国は、正式に印南5ヵ村の祖額は適正な査定でなかった事を認めたのです。
しかし、森岡県令は国の財政確立のための職務に忠実のあまりの勇み足ということか、中央では高く評価されていました。
この修正される村の中に、なぜか蛸草新村の名前がないのでした。
詳しいことは分かりませんが、これは隣り合う加古新村や国岡、国安、岡村への影響を考えてのことであったのかも知れません。
蛸草新村の戸長(村長)、岩本須三郎にとってはつらい決定でした。
「お人よしやから、甘う見られるんや」「村のもんは、えらい迷惑や」と言う者もいました。
ただし、この減税は14年から行われ、それまでの祖額はそのまま納めなければならなかったのです。
祖額は、若干修正され、延納は認められたのですが、まだまだ納められる額ではありません。
・・・・
祖額を決めた県としては、祖額が間違いであると国に指摘されたことは、面白くありませんでした。
鞭(より厳しい取立て)
県の租税課は、「減税は行われたのだからもはや文句はないはずである」と、地租未納の徴収は一段と激しさを増しました。
県の命令に郡長も従わざるを得ません。
郡長は、印南6ヵ村の主だった者に伝えました。
「先日、県令より命令がありました。印南新村の地祖未納者処分をせよと言うことです。
皆さんにも地租未納分を完納してもらわねばなりません。
この度の命令は厳しいものであり、猶予はないでしょう。
不納の時は公売処分になります・・・・」
しかし、「ないものはない」のでした。
陳情の効果もなく、不納者221名の土地は公売されることになりました。
しかし、この時も入札者は一人も現れませんでした。
県は、次の方法として土地没収と地券引き上げを通知してきました。
明治14年12月31日のことでした。
印南6ヵ村にとって、冷たい、絶望の大晦日となりました。(no3036)
*挿絵:増税を迫る役人
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