ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新野辺を歩く(49):民話・ひし形池の豆だぬき

2012-08-20 07:20:17 |  ・加古川市別府町新野辺

前号で、「・・・五ヶ井郷の村々は水が豊かでほとんど池がありませんでした。

しかし、新野辺村だけは、少し事情が異なり五ヶ井用水の終点で、水が確実に届く保障がないので、五ヵ井用水の水を貯めておく池が必要でした。

寛延三年(1750)の明細帳に、新野辺村には大小あわせて41ものため池があったと記されています」と紹介しました。

おそらく、そのため池の一つが「ひし形池」だったのでしょう。

「ひし形池」に、こんな話がありました。

(民話)ひし形池の豆だぬき

2593e2f1むかしむかし、新野辺にひし形の小さな池がありました。

その池のまわりには、うるし、つばき、竹などが生いしげって、池の南がわには一本の大木がありました。

その大木の根もとに豆だぬきが住みついていました。

ま夜中のころでした。

ひし形の池の近くを通ると、大木の根もとから赤ん坊が泣いているような声が聞こえました。

悲しそうな声でした。

ある時、池の持ち主が、その大木を下から一間(いっけん・約180メートル)ぐらいのところを切りはじめました。

すると、切り口から水がタラタラと流れ出してとまりません。

そこで、高いところをから、やっと大木をきりたおしました。

ところが、一日がたってから、大木を切りたおした人は豆だぬきが、恨(うらみ)をもち復讐したのか急に体が痛くなって、暴れまわったと言うことです。

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