ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

別府町探訪:松風こみち

2009-02-15 14:25:33 |  ・加古川市別府町を歩く

Befu_035 現在の加古川市役所のすぐ東にJR高砂線・野口駅があった。

 そこで、別府駅行きに乗りかえて、別府鉄道・別府駅に着いた。そして別府の浜にでた。

 別府の浜は、春は潮干狩り、そして夏は海水浴で賑わっていた。

 別府鉄道の前身「別府軽便鉄道」が開業したのは1921(大正10)年の9月だった。

 (昭和21年4月1日:別府軽便鉄道は別府鉄道に名称を変更する。別府鉄道として話を進めている)

 別府鉄道の主な役割は、別府製肥所の肥料の運搬のためだった。

 その後、加古川の商店街への買い物の足として、あるいは通勤・通学の足としても別府鉄道は無くてはならないものになった。

 この鉄道が最も賑わったのは、昭和30年代のはじめころで上記の外に別府の浜へ潮干狩り、海水浴へと多くの客を運んだ。

 しかし、こうした風景も1967年(昭和42)ごろから臨海部の工場用地の造成が始まり、以後急速に様変わりした。

 海水浴場は閉鎖になった。

 そして、モータリゼーションの波で、乗客は激変。それに1984年(昭和59)2月「土山駅の貨物取り扱いのストップ」が決定的な打撃になった。

 別府鉄道は、1984年(昭和59)、63年の歴史を閉じた。

 野口線(別府~野口)は、現在「松風こみち」(市民遊歩道:写真)として生まれかわった。

 別府川に架かる鉄橋は、今も別府鉄道の面影を残している。

 土山線は道路として、播磨町歴史資料館から土山駅間は「であいのこみち」として、歩行者と自転車に開放されている。

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