そこで、別府駅行きに乗りかえて、別府鉄道・別府駅に着いた。そして別府の浜にでた。
別府の浜は、春は潮干狩り、そして夏は海水浴で賑わっていた。
別府鉄道の前身「別府軽便鉄道」が開業したのは1921(大正10)年の9月だった。
(昭和21年4月1日:別府軽便鉄道は別府鉄道に名称を変更する。別府鉄道として話を進めている)
別府鉄道の主な役割は、別府製肥所の肥料の運搬のためだった。
その後、加古川の商店街への買い物の足として、あるいは通勤・通学の足としても別府鉄道は無くてはならないものになった。
この鉄道が最も賑わったのは、昭和30年代のはじめころで上記の外に別府の浜へ潮干狩り、海水浴へと多くの客を運んだ。
しかし、こうした風景も1967年(昭和42)ごろから臨海部の工場用地の造成が始まり、以後急速に様変わりした。
海水浴場は閉鎖になった。
そして、モータリゼーションの波で、乗客は激変。それに1984年(昭和59)2月「土山駅の貨物取り扱いのストップ」が決定的な打撃になった。
別府鉄道は、1984年(昭和59)、63年の歴史を閉じた。
野口線(別府~野口)は、現在「松風こみち」(市民遊歩道:写真)として生まれかわった。
別府川に架かる鉄橋は、今も別府鉄道の面影を残している。
土山線は道路として、播磨町歴史資料館から土山駅間は「であいのこみち」として、歩行者と自転車に開放されている。
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