ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(179):雨の日の印南野台地①・曇川

2010-04-14 00:11:26 |  ・稲美町印南野台地

Sarah4_154 日曜日の夕方、天気予報のとおり、久しぶりに大雨となり、月曜日の朝は、まだ線を引くような強い雨が残っていました。

こんな日には外に出かけることは、ほとんどありません。

でも、月曜日(12)は昼から「大雨の印南野台地」のようす、特に雨の曇川・国安川・喜瀬川(枯川)・草谷川を見にでかけました。

印南野台地に降った雨は、南と西へ傾斜の上を流れ下っています。この程度の雨で、どんな流れになるのかを確かめたかったからです。

台風の時はともかく、大雨とはいえ昨夜からの1日の雨です。

「たいしたことはないだろう」と想像したのでしたが、どの川も川幅いっぱいに急流でした。

その報告です。

   <曇川>

Sarah4_158 入が池・長府池・満溜池に集まった水は、北山集落に沿って、まだ花びらの残る桜並木の下を、一気に白波をつくり下沢まで流れ下っています。

下沢で、国安川の流れと合流して、勢いを増し曇川本流は濁流でした。

久しぶりの本格的な雨とはいえ「一日の雨」の後です。

明治時代、九頭竜川(福井県)を見たオランダの土木技師・デレーケは、「これは滝である」といったといいますが、曇川もまさにそのような流れでした。

「曇った時だけ水があるから曇川である」と揶揄される曇川ですが、その日の曇川は違っていました。

堤防がしっかりしていない時代、長雨の続いた時には、この地域は幾度となく洪水に見舞われたことが想像されます。

やはり、稲美町は坂の町です。

曇川の流れは、坂がつくった急流です。

次に、この濁流は、どのくらいで元の水の少ない「曇川」に戻ってしまうのか知りたくなりました。

    写真上:曇川と国安川の合流地点から500mほど下流、写真下:北山の桜並木の曇川

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