ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(47)  もう一つの日岡神社

2017-03-21 09:22:31 | 地域の風を読む

            もう一つの日岡神社

 福留の集落を流れる曇川に架かる福留橋のすぐ北に、なんと日岡神社(写真)が鎮座します。

 「日岡神社」というと、すぐ日岡山(大野)にある日岡神社が思い浮かべます。

 日岡神社の支社かと想像してみますが、関係は、今のところはっきりしません。

 大野の日岡神社の支社でもありません。

 が、祭神は、大野の日岡神社の祭神一柱の豊玉姫(トヨタマヒメ)です。

  福留の日岡神社の堀の水は、底は若狭からきていて北条(郷)まで続いていると伝えています。

 奈良のお水取りの話が混入しています。

 ここに言う北条(郷)とは、今の地名で言えば大野・中津・溝口・河原・平野・寺家町・篠原を含む地域です。

 北条に通じているという言い伝えは、北条郷大野の元宮へもお供る習わしが、この地にあったのであろうとも考えられます。

 地元では、「大野の日岡神社より古い神社である」と言う人もおられるようですが、やはり古さにおいては大野の「式内社・日岡神社」に軍杯があがります。

 また、郷土史家の石見完次さんは、ある長老の話を採集されています。

 「・・・昔、この川から御幣が流れてきてこの地に留まったので、この地に社を建て祀った・・・」と。

 この地の人々は曇川と生活を共にしてきました。曇川(くもりがわ)の流れは、恵の川でした。が、洪水を引き起こす怖れの川でもあったのです。

 福留の日岡神社は、おそらく水神の宮であったのでしょう。(no3516)

 *『古地名新解-加古川おもしろ誌』(石見完次)参照。

 *写真:福留(加古川市神野町)の日岡神社


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