もう一つの日岡神社
福留の集落を流れる曇川に架かる福留橋のすぐ北に、なんと日岡神社(写真)が鎮座します。
「日岡神社」というと、すぐ日岡山(大野)にある日岡神社が思い浮かべます。
日岡神社の支社かと想像してみますが、関係は、今のところはっきりしません。
大野の日岡神社の支社でもありません。
が、祭神は、大野の日岡神社の祭神一柱の豊玉姫(トヨタマヒメ)です。
福留の日岡神社の堀の水は、底は若狭からきていて北条(郷)まで続いていると伝えています。
奈良のお水取りの話が混入しています。
ここに言う北条(郷)とは、今の地名で言えば大野・中津・溝口・河原・平野・寺家町・篠原を含む地域です。
北条に通じているという言い伝えは、北条郷大野の元宮へもお供る習わしが、この地にあったのであろうとも考えられます。
地元では、「大野の日岡神社より古い神社である」と言う人もおられるようですが、やはり古さにおいては大野の「式内社・日岡神社」に軍杯があがります。
また、郷土史家の石見完次さんは、ある長老の話を採集されています。
「・・・昔、この川から御幣が流れてきてこの地に留まったので、この地に社を建て祀った・・・」と。
この地の人々は曇川と生活を共にしてきました。曇川(くもりがわ)の流れは、恵の川でした。が、洪水を引き起こす怖れの川でもあったのです。
福留の日岡神社は、おそらく水神の宮であったのでしょう。(no3516)
*『古地名新解-加古川おもしろ誌』(石見完次)参照。
*写真:福留(加古川市神野町)の日岡神社
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