「古地名新解(石見完次著)」と「加古川万華鏡(岡田功著)」を手がかりに、薬栗を訪ねたい。
地名語源辞典では、クスクリのクスはたいてい崖・自然堤防・崩れの意味で、クリは刳りとられた地形、または栗石のことであるという。
確かに、薬栗は承応年間(1652~55)に東方の小字・古屋敷(ふるやしき)から移住している。また、寺の元(てらのもと)・寺の山(てらのやま)という小字があるが元、長慶寺があった場所である。
ともに移住の原因は洪水であろう。
《薬栗・長慶寺山古墳》
加古川右岸には、左岸に比べ古墳の規模・数において圧倒的に劣っている。その中にあって、長慶寺山にある古墳群は、内行花文鏡などを出土した貴重な古墳群である。
この古墳に関して「加古川市史(第一巻)」に、少し気になる記述がある。
「・・・前方後円墳(長慶寺山古墳群のこと)は、1955年(昭和30)に地元の中学生によって、不用意に発掘されたため、詳細はよく分からない。・・・・(出土品により)4世紀古墳にさかのぼる古墳かと考えられる。
4世紀古墳とすると、日岡古墳群と同時期の古い時代のものである。古墳時代、薬栗あたりは、左岸に劣らず輝いていた。
* 図は長慶寺山古墳群(「播磨風土記への招待」-浅田芳朗著」より
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