ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(45) 古墳時代(12) ヤマトタケル物語(8)、『風土記』にヤマト・タケルが登場しない

2019-09-12 08:45:34 | 大河・かこがわ

   古墳時代(12) ヤマトタケル物語(8)

    『風土記』にヤマト・タケルが登場しない

 古事記・日本書紀のクライマックスに登場するヤマト・タケルですが、時を同じくして書かれた『播磨風土記』に登場しないわけがありません。

 不思議なことに『播磨風土記』のどこにもヤマト・タケルの姿はありません。

 あるのは、ヤマト・タケルのお母さんとお父さん(景行天皇)の愛の物語ばかりです。

 これは何を物語るのでしょうか。

 『播磨風土記』の研究家である、岩坂純一郎氏は『東播磨の歴史1・古代』(神戸新聞出版センター)で、「・・・ヤマト・タケルがなぜ地元で編集された風土記に登場しないのかを考察することは重要です。

 私の認識不足かも知れませんが、これまで『播磨風土記』にヤマト・タケルが登場していないことに疑問を抱かれた研究はほとんどありません。

 ・・・・『播磨風土記』にヤマト・タケルが登場していない理由を考えていくこともこれからの課題の一つとして問題提起をさせていただきます」と書かれています。

 私は、「よく非常に独断的な意見を言う」とおしかりを受けますが、あえて、書かせていただきます。

 風土記がまとめられた時代、加古川地方にはヤマト・タケルの話はなかったのではないか・・・ないものは書けないという訳です。

 ギリシャ神話に登場するような英雄が加古川に誕生したという物語は痛快な話のですが、ヤマト・タケルの話は地元にはなかったのではないかと想像します。

 こんなこと書くのは、少々気が重い・・・

 *写真:武人の埴輪、記事とは直接関係がありませんが、ヤマト・タケルの姿が想像されます。(no4764)

 

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