ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

別府町探訪:さればとて 石に布団は きせられず

2009-02-02 11:08:30 |  ・加古川市別府町を歩く

Befu_002_2  瀧 瓢水について説明も無く書いているが、瓢水については、2006年7月30日のブログ「瀧瓢水」を参照ください。

 彼の句を紹介しているが、再度「さればとて 石に布団は きせられず」を読んでおきたい。 

 彼の母、「参」が亡くなった後に詠んだ句である。

 瀧家について説明しておきたい。

 瀧家の祖先は、三木合戦で三木城に籠城したようである。

 三木落城後、現在の加東市滝野町に帰りその後別府に転居し、名前も出身地の滝野からとり「瀧」とした。

 初代は、天正六年(1578)生まれの新右衛門元春、第二代は与一右衛門清春(瓢水の祖父)そして、第三代目が瓢水の父・新右衛門政清(仲春)である。

 瓢水は、貞享元年(1684)、別府村に生まれた。

 父・仲春は、瓢水が八才の時に亡くなった。

 瓢水は、祖父の清春が後見者となり、幼くして瀧家を継いだ。

 瀧家は、一町四方(約100m四方)の広い屋敷であった。

 その後の瓢水は、母に心配をかけ続けた。

 享保18年(1732)、母・参が亡くなった。

 瓢水は大坂で、このニュースを知った。

 急いで、別府に帰った瓢水は号泣したという。

 その後に詠んだ句が、上記の「さればとて 石に布団は きせられず」である。

  *写真の瓢水の句碑は、平岡町一色霊園内(加古川東郵便局前) 

 

 

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