瀧 瓢水について説明も無く書いているが、瓢水については、2006年7月30日のブログ「瀧瓢水」を参照ください。
彼の句を紹介しているが、再度「さればとて 石に布団は きせられず」を読んでおきたい。
彼の母、「参」が亡くなった後に詠んだ句である。
瀧家について説明しておきたい。
瀧家の祖先は、三木合戦で三木城に籠城したようである。
三木落城後、現在の加東市滝野町に帰りその後別府に転居し、名前も出身地の滝野からとり「瀧」とした。
初代は、天正六年(1578)生まれの新右衛門元春、第二代は与一右衛門清春(瓢水の祖父)そして、第三代目が瓢水の父・新右衛門政清(仲春)である。
瓢水は、貞享元年(1684)、別府村に生まれた。
父・仲春は、瓢水が八才の時に亡くなった。
瓢水は、祖父の清春が後見者となり、幼くして瀧家を継いだ。
瀧家は、一町四方(約100m四方)の広い屋敷であった。
その後の瓢水は、母に心配をかけ続けた。
享保18年(1732)、母・参が亡くなった。
瓢水は大坂で、このニュースを知った。
急いで、別府に帰った瓢水は号泣したという。
その後に詠んだ句が、上記の「さればとて 石に布団は きせられず」である。
*写真の瓢水の句碑は、平岡町一色霊園内(加古川東郵便局前)
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