江戸時代の庶民(百姓)に苗字はなかったか
きょうの話題は、少しだけ寄り道となります。
「江戸幕府成立いらい、身分は固定し苗字帯刀は、武士以外は禁止された」と学校で習いませんでしたか。 すこし、江戸時代の苗字について、触れておきます。
「苗字の歴史(豊田武)」(中公新書)は、庶民の苗字について、次のように説明しています。(文章は、少し変えています)
○農村において苗字を持つ者は武士だけではなく、個々の小作人でも特定の土地に居住し、耕作地とする以上は、地名を家の名とすることはありました。
○「各地から(庶民も)苗字を持っていたという各種の例が寄せられています。
○庶民も、従来からの苗字を有していた場合が多いのです。・・(しかし)苗字を公に名のることが許されなかっただけのことです。
○一般的に、神事に関する場合は、苗字を使用することができました。
「加古を歩く(21)」で、「大庄屋は、苗字・帯刀が許されていた」と書きました。
議定證(古文書)をみても加古新村頭百姓(とうびゃくしょう)は、大庄屋ではありません。
ですから、喜平次様、同才兵衛様、同治兵衛様とあるように、三名の頭百姓に苗字は書かれていません。
でも、当時、それぞれ沼田喜平次、沢才兵衛、本岡治兵衛という名前を持っていました。
江戸時代、農村では大庄屋だけでなく多くの庶民も私的に苗字を持っていました。
ただ、神事を除いて、公式に使えなかっただけです。
神社の江戸時代に造られ、神社に寄贈された灯籠などで、大庄屋でない寄進者の苗字などを良く見かけます。
それ(神事)以外は、苗字を使うことは許されなかったのです。
*古文書:「村方万事議定證」(部分)
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