経政神社(つねまさじんじゃ・阿弥陀町長尾)
高御位山の南麓の長尾地区に平家伝説が残る地区があります。話は、こうです。
一の谷の戦いで平家一門は敗れ、多くは海にのがれました。
平経盛(清盛の弟)の子、但馬の守・経政は、ついに船に乗り遅れて、仕方なく浜辺を西逃れました。どうしても、逃げることができません。
とうとう、魚橋村の西はずれから道をかきわけ、山奥に達し腹を切って亡くなったといいます。・・・・
鹿島神社参拝の時にお寄りください
阿弥陀町長尾の西部の但馬の守地区で、木立の中を進むと鳥居奥の階段の先に社殿が現れます。
この神社が平清盛のおいに当たる経政(つねまさ)をまつった神社といわれています。
ともに逃れてきた臣下たちが祠(ほこら)をたてたといいます。
笛の名手で知られる敦盛は実弟。
小さな杜(もり)にまつわる数々の伝説に接し、鳥居をくぐると印象が大きく変わって見えるものです。
地徳の鹿島神社の近くです。少し足を伸ばしてみませんか。
集落では毎月第1、3日曜に、住民が当番制で洗い米と水、塩を神社に供えています。
地区には経政の鎧が残る家もあるそうです。(no2784)
*写真:経正(つねまさ)神社(阿弥陀町長尾但馬守地区)
*神戸新聞参照
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます