ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(191) 地蔵盆幻想

2015-04-20 09:30:44 |  ・高砂市阿弥陀町

 阿弥陀町魚橋は、石の宝殿に近く石財が豊富でした。そして、近在には多くのすぐれた石工がいたようです。たくさんの石仏が残されています。

 先日、およそ50年ぶりに魚橋山の「祇園さん」に寄りました。写真のお地蔵さんの撮影のためです。

 祇園さん(八坂神社)のすぐ西の階段の突き当たりの所にある地蔵さんです。

 でも、今日のブログは、石仏の話ではありません。

     地蔵盆幻想

  少し余話をさせてください。

 魚橋は、母の故郷でした。

 そのため、夏休みの半分ほどは魚橋のおばあちゃんの家で過ごしました。

 8月24日の地蔵盆は、とりわけ思い出が残っています。

 この地区では、地区のお地蔵さんを子どもたちが、大人の手を借りずにお祀りをする習慣がありました。

 地蔵さんの数が多いので、多くの地区に分かれて男女別にお地蔵さんを担当しました。

 私もある地蔵さんを担当した地区の子供会に入れてもらいました。

 当時、中学生が頭(かしら・リーダー)・小頭(こがしら・副リーダー)等になり、地蔵盆を担当しました。

 まず、各家をまわって寄付にまわります。「**さんの地蔵さんに参ってんか・・・」と言うと、どの家からも10円か20円の寄付がありました。お店をまわると50円の寄付がありました。

 それで、お菓子等を買って8月24日、お地蔵さんに供えます。

 もちろん、数日前から頭の指導で、地蔵さんのまわりの掃除をしまいた。

 ササもまわりに立てかけました。

 当日の夜は家族の者がそろってのお参りがありました。

 翌日、午前中は片付けです。昼は頭(リーダー)の家に集まり、お母さんたちがカレー等を作ってくれ、お供えをみんなで分けました。

 そして、地蔵盆の行事は終わります。

 すっかり、静かになったお地蔵さんの辺りには、真っ赤なトンボが飛んでいました。

 地蔵盆が終わると夏休みももうすぐ終わります。宿題が気になったことも思い出です。

 こんな子どもの行事も最近なくなったようです。

 おじぞうさん!さびしいね・・・!(no2768)

 *写真:祇園さんのお地蔵さんたち(この地蔵は、女の子の担当でした)

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