「稲美町の歴史探訪」をしていますが、曇川に関しては、加古川市の一部地域の説明を含みます。ご了承ください。
稲根神社(加古川市神野町)
明治9年に、加古郡手末村と二塚村が合併して神野村となりました。
その旧二塚村に稲根神社があります。曇川の河口の近くの神社です。
稲根神社(写真)の裏に、二つの後期古墳があります。
旧二塚村も、この二つの古墳から名づけられています。二塚古墳に関しては、次号で紹介する予定です。
郷土史家の石見完次氏は『東播磨の民俗』(神戸新聞出版センター)で、稲根神社について、次のように語っておられます。
「・・・その塚(二塚古墳)に葬られていた豪族が、実は水と平地を求めて神野の里に来て、最初にこの地に稲を作った部族の長であると考えられ、そしてその有難い稲の御魂を祭ったのが稲根神社であると考えられる・・・」と。
また、稲根神社の由来は次のようである。
・・・太古、人々が食べ物を失ったとき、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)がこれを憐れみ、高天原から稲穂を降らせた。
そのとき、この地に三粒が落下して、これが実って、世の中に米が満つようになった・・・
本来、神社の由来と言うものは、怪しげなものが多く検証が必要です。
でも、稲根神社の由来は、二塚古墳・曇川・稲作、そして何よりも神社の名前(稲根)をつなげてみると考えてみる価値がありそうです。
まず神野の地で稲作が最初に始まり、やがて播磨の地に広まったことを語っているのでしょうか。
そう考える学者も多くおられます。
ともかく、曇川河口で始まった稲作は、まず神野の地(賀意理多の谷)それも曇川沿いで早い時期に始まったようです。
*『東播磨の民族(石見完次)』(神戸新聞出版センター)参照
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