『志方郷(23号)』に書かれている松本正巳さんの文章(一部)を読んでみます。
弁天さんの祭
「・・・弁天さんのまつりは、毎年7月22日と23日に行われました。
22日の宵宮には、どこの家でもご馳走を作り、嫁入りしている娘や他所へ出ている息子が帰り、にぎやかに祭をたのしみました。
弁天さんの境内では盛大に相撲大会が行われ、夜店がせまい境内から参道にまで、所せましと出ていました。
夜店の並んでいるところは、カーバイトの明かりをつけて明るく、参って来る人を祭の中へ引き入れてくれます。
店屋は氷屋、おもちゃ屋、冷やしラムネなど、子供の心をひきつけます。
相撲大会の世話は全部子どもです・・・」
この文章を読んだ時、懐かしさがいっぺんに吹き出しました。
松本さんが書かれた、この弁天さんの祭りに、幼稚園・小学校1年生だった私もいたんです。相撲大会は、いまでも鮮明に覚えています。
カーバイトのにおい一杯の相撲大会でした。
「ハッケヨイ ノコッタ ノコッタ・・・」の声が、はっきりと聞こえてきそうです。
私の知る弁天さんの祭は、昭和24・25年ごろですから、戦争の間もないころで、何かと影響が残っていたのでしょう。
松本さんが書かれている「どこの家でもご馳走をつくり、嫁入りしている娘や他所へでている息子が帰り、にぎやかに祭を楽しみました。・・・」と書かれていますが、祭の日のご馳走は覚えていません。なかったようです。
祭の日は、はやくから小銭を握って出かけました。
先日、この場所へ行ってみました。
今年の7月22日には、久しぶりで弁天さんの祭りに行ってみようと思います。
もちろん知る人は誰もいませんが・・・
・・・・・
また、「戦時中は出征兵士の家族が、お祭りして無事を祈りました・・」とも書かれています。
母がいたのは、弁天さんの近所でしたから、母はここへ父の無事を祈ったかもしれません。
でも、間もなく「戦死」の知らせがありました。粗末な箱に小さな石ころ一つだけが入っていたと聞きました。