条理制の田畑を潤した旧加古川流路は、この用水が「五ヶ井用水」として確立したと想像される室町時代で説明すべきですが、条里制を理解するために、ここで簡単に説明しておきましょう。(五ヶ井用水については後に詳しくみることにします)
五ヶ井用水の溝筋
加古川は、丹波市青垣の遠坂(とうさか)付近を源流に、播磨灘に注ぐ兵庫県一の河川です。
その幹線流路は96kmであり、兵庫県に降った雨の約4分の1は加古川に流れ込んでいます。
その流域面積は1.732平方キロメートルで県下最大です。
また、加古川は暴れ川であり、古代より幾度となく洪水をひきおこし、流路を変えました。
五ヶ井郷(五ヶ井用水を利用している地域-次号で説明)の人々は、そんな大河と闘い,加古川から田畑に用水として水を引いたのです。
五ヶ井用水は、近世の村で言うと20ヵ村で、1.1900石ほどの田地を灌漑するとてつもない大きな規模の用水です。
後日、用水の溝筋を北から南へ歩いてみたいのですが、きょうは五ヶ井用水の溝筋の概略を確認しておます。
条里制を潤した用水路と重なっていることがお分かりになると思います。
この図は『五ヶ井土地改良区誌』(五ヶ井土地改良区誌編さん委員会・昭和62年)からお借りしました。
なお、いま加古川の左岸(東岸)の五ヶ井用水を見ていますが、右岸(西岸)の条里制の田畑もおなじように旧加古川流路を利用しています。(no3852)
*図: 五ヶ井用水の溝筋(『五ヶ井土地改良区誌編さん委員会』)より
*きのう(1/23)の散歩(15.968歩)