木造聖観音像は残った
・・・常楽寺(加古川町・大野)について『大野史誌』は「天正六年(1578)羽柴秀吉の兵火にかかり、堂宇すべて焼失した」と記述しています。
常楽寺のことを調べたいのですが、残念なことに記録・寺宝等は戦乱や火事に焼かれ、現在ほとんど残されていません。
私もそう思い込んでいたのですが、常楽寺には立派な聖観音立像等がわずかに残されています。
秀吉軍により、焼き打ちになることが予想されたのでしょう。この観音菩薩像は、どこか別の場所に隠していたのかもしれません。
この観音様について、『信仰の美術・東播磨の聖たち』(加古川総合文化センター)からの説明をお借りします。
木造聖観音菩薩立像(平安時代後期)
常楽寺本堂の奥に安置される聖観音菩薩立像である。
穏やかな相貌を持つ、やや大きめの頭部と、奥行のある体部の肉取りさらに、腰をやや左に捻り、微妙に左足を踏出すなど、一見して、平安時代後期の観音菩薩立像であることがわかる。
表面は剥落し、全身古色を呈している。内割りは無く、体幹を桧の一材で彫成している。
宝髻(もとどり)は大きく、天冠台の彫りも鋭い。(以下略)(no4805)
*写真:聖観音立像(常楽寺所蔵・秘仏)